菊池寛の仕事

どうも好きな事に関しては、人生を賭けて一生懸命になってしまう人らしい。
趣味も趣味で終わらない。
競馬が好きなら、自分の馬を持つ。
そこには、努力という泥臭いものよりも、血が騒いでいつの間にか身体が動いているという勢いを感じる。
そういう人を、運命の女神もおもしろがるのだろうなぁ。
人生のできごとの結末にいちいち「ところが!」が続く。
遠足にも行かせてもらえない、教科書も買えなくて、友人のものを写本させてもらう・・・そんな清貧生活から始まる転調だらけの人生を井上ひさしが描く。
ゴールデンタイムのドラマのように展開が激しい人生。
死に方のセッティングもすごいね。
あれじゃあ、周囲があっけにとられるね。



中学校1・2年で読んだ蔵書が2万冊、芥川賞直木賞を作った想い、関東大震災で逃げ延びてきた愛人とその母を自宅に寄せる・・・
はちゃめちゃぶりにも、どうしても憎めない人間くささがある。
同期や後輩の作家たちが安心して書く仕事に打ち込めるよう、不安定な作家生活を守るしくみも作り上げるという基盤作りの名人だ。




なんだか、いい男だなあと思ってしまう。





同胞である文豪たちなどから寄せられた語り草が多く掲載されている。
息子さんの幼馴染である諸橋さん(執筆時、三菱商事の相談役)は、息子さんと同様に菊池にずいぶんと可愛がられた。
その諸橋さんの金山御殿(菊池邸)の思い出もおもしろい。





文藝春秋社で社長をしている時、仕事中に卓球や将棋にしていてはいかん!と、勤務規則を厳しくしてみたけれど、一番苦しんでるのが菊池自身だったりする。
社員が菊池をそそのかして、将棋を再開した時はうれしくてしかたない。
そんな、褒められないエピソードもいっぱい。
とにかくネタ満載の自由人だったようだ。




そして、息子と娘達が集まっての菊池座談会。
奥さんの「今だから、言いますけど」談は、なかなか言ってしまっている。
あぁ。伝記じゃなくなった。





菊池寛は言う。
「25歳未満の者は小説を書くべからず、という規則をこしらえたい。
小説は、文章や技巧などではなく、生活を知り、人生に対する考えをきちんと持つことが必要なのだ。
小説はある人生観を持った作家が、世の中の事象にことよせて、自分の人生観を発表したものなのである。
だから、小説を書く前に、まず自分の人生観を作り上げる事が大切だと思う。」




等身大の菊池寛が暴露されている。
作品以前に、本人がかなりおもしろいらしい。
それまで、あまり強く印象を持たなかった彼の著書を読み始めた。