浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか〜仏教宗派の謎〜

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

*ネタバレ満載です。



本にも書いてあるように、自分の家のお葬式でもない限り、家の宗派が何であるかなど知らない方が多いかも。




飛鳥時代の仏教には、まだ宗派はなかったそうだ。
その後、僧侶が国家資格になることで国の官僚的な存在になり、出来始めた宗派もどちらかというと学派に近かったとか。
国というスポンサー基盤もあったので、寺が自分でお金を稼ぐ必要もなく、宗派というオリジナリティのみで信徒を増やしていく。





一方、現代。
「古い宗教」として廃れそうになっていた南都六宗華厳宗律宗など)を救ったのは、戦後の高度成長期。
経済的に豊かになった日本国民は、観光や修学旅行で奈良を訪れるようになった。
興福寺法隆寺薬師寺などは「観光寺院」として生き残る努力をして、復活。
お寺って、運営自体がずいぶん変化したんだよね。
実家のお寺さんは、一等地にあったりするものだから、なにかにつけてお布施の依頼がくるらしい。
経済的維持が大変なんだろなあ。
住職は、お寺に併設されてる歯科医院で先生もやっているよ。
歯科じゃなくて、内科などだったら、ちょっと笑えないね。





学校で日本史を習うと必ず出てくる「最澄空海」。
天台宗最澄は、真言宗空海に比べると、宗祖としてはイマイチぱっとしない。
空海親鸞は、伝記映画がたくさん作られたりしてるのに、数える程度。
最澄はすごいことをやったにも関わらず、ややカリスマ性が足りなかったらしい。
最澄があくまで伝道者であったのに対し、空海は自らが「弘法大師」となって、信仰の対象になってしまっているしね。
最澄空海のどちらがよりエリートだったかという考察も下世話とはいえ、おもしろいよ。
更に、天台宗は各宗派の総合的な存在でインパクトが弱いし、観光の目玉になるようなイベントもない。
天台宗、危うし!!





そんな天台宗だったけど、長岡京から平安京に遷都されたことは、幸運だった。
それは、延暦寺の位置による。
たまたま延暦寺平安京の鬼門にあたる方向にあったため、都を守る役割を引き受け、重要なポジションをゲットできたということらしい。
宗教の盛衰が運に委ねられているというのもおもしろいね。
しかも、皇室の祖神である「天照大神」を祭る神社と合体しちゃった!
そんなわけで、最澄は地味でも、天台宗は大盛り上がり。
その後も、この地味な宗祖を助けようと、弟子たちがすごくがんばったため、後に王道的宗派になれたともいえるとか。
真言宗は、空海が華々しかったため、特に弟子たちががんばることがなく、やや勢いは落ちたそうな。





また天台宗は、厳しい戒律もないし、特に修行しなくても、誰でも(草木も)成仏できるというから、庶民をがっつり掴む。
現代の無宗教の根底には、この流れがあるのではないかと考察されてる。






現代のお葬式の形式を作ったのは、曹洞宗
お葬式で読まれるお経は、すべての宗派で共通というものは存在しないらしい。
「般若心経」はポピュラー?とはいえ、天台宗真言宗臨済宗曹洞宗のみ。
戒名は、浄土真宗では、必ず「釋(尼)」の字を含む。日蓮宗だと「日」の字が入る。
でも、天台宗真言宗臨済宗曹洞宗での付け方は共通していて、戒名を見ただけでは宗派は分からないそうだ。
現在では、お寺と檀家などの結びつきを持たない家が増えたとはいえ、家単位で宗派が決まることが多い日本なので、お葬式などのタイミングで宗派が認識され、意外と伝わっていく。そう簡単には消えない仕組みになってるんだね。


そして、この本のタイトルの答え。
それは、やはり浄土真宗が庶民の信仰となっているからだそうだ。
核となるのは「他力本願」。
「他」は仏や菩薩を指す。「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば、厳しい修行をしなくてもご利益がもたらされ、極楽に行けるというもの。
身近で、シンプルなのだね。
また、信徒に親鸞のことを伝えやすくした「親鸞伝絵」の存在が芸能面からのアプローチもしている。
「節談説教」といって七五調のリズムで説法をする方法では、聞いている信徒達が「南無阿弥陀仏」で答えるというライヴ形式だ。信徒一丸となって信仰を共有できる機会もあるわけだね。
僧侶が特別な地位でなく庶民と同等で、結婚もOKなので、婚姻関係を通して、確実に宗派が伝わっていくことも挙げられるらしい。
他の宗派は、救いの手段は加持祈祷で、そのための修行を積んだ専門家が必要なんだね。



一口に仏教、密教・・・と言っても、それぞれがそれぞれの事情を抱えていて、実は今も生活に寄りそってるのを感じて、おもしろい。