戦争と検閲 〜石川達三を読み直す〜

戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

「今さら」ではなく、「今こそ」として、今年2015年6月に発刊された。
石川達三日中戦争当時、新進気鋭の芥川賞受賞作家だった。
総合雑誌中央公論」の特派員として中国に渡り、そこで見たこと感じたことを憑かれるようにして書いて吐き出したのが小説「生きている兵隊」。
中国北部から南京に転戦していくある部隊を描いており、略奪、殺害、慰安所、狂った兵士の発砲事件の場面もあるので、最初から原文のままでは検閲にひっかかると予測されており、文章のあちこちが「・・・・」と伏字にされた後に、出版許可申請をした。
それでも、だ。


この筆禍の一部始終と関わった人達について報告しているのがこの本。
裁判の記録も。
決して、違法覚悟でコソコソ出したのではなく、承認の段取りを経ていた。
そして掲載紙が販売される前夜でも、編集者たちが「出版禁止」の連絡がいつ来るかとドキドキして待つ。
メールや携帯電話のない時代に、禁止令と行き違いに安心して職場を離れてしまい、指令を無視して発売したことになってしまった編集社。
差し止めが間に合わず、店舗に並べられてしまった7万3千部のうち、差し押さえられたのは3/4ほど。
抜けた1/4は購入され、更に一部は翻訳されて、海外(特に中国)でも読まれてしまったのが、更に達三の立場を悪くしたそうだ。


おもしろいのは、裁判での判決は執行猶予付きの禁固刑だったのだけど、その理由は「事変中に安寧秩序を乱した」ことであって、小説に書かれたことが事実か空想かではないという点。


これだけ検閲がうるさいのだから取材をやる気がなくなりそうなものだけど、、戦地にはかなりの報道陣が詰めていたらしい。
武漢作戦では、朝日新聞社だけで400人。
記者、航空部員、伝書バト係が動員されていたそうだ。



発禁には、村役場の村報や会社の社報、学校通信にまで及んだ。
誰がいつどこの部隊に召集されたとか、戦地名を挙げて出兵された者を応援したことで、軍事機密漏洩とみなされたから。



「新聞紙法」の恐怖。
検閲は、戦争が始まる前からジワリジワリと拡がっていて、気が付いた時には「自由を失った」という訴えさえできなくなっている。
違法行為をしても刑自体は比較的軽いけど、経済的な痛手や生活をゆるがす事態に追い込まれるなど、怖い二次的効果を持っている。それがキモ。



報道規制は、戦時中はいろんな国で行われていたと思うけど、ある程度まで戦争が進むと、人々は報道など信じなくなるのだそうだ。そして、自分たちに不利になる内容の虚言や作り話が拡がってしまう。
つまり、報道規制はかえって、国にとって不利な状況へ国民を誘導してしまうんだね。


報道側の対応もおもしろい。
発禁対象が拡大し、処罰を受ける人も増えた際、朝日新聞は服役している社員には特別手当を支給し、罰金は本社が支払うと明文化までしていたらしい。



新聞は軍に利用もされていた。
時事新報などの有力紙には、敵を欺くための偽りの記事が載せられたりも。


世界中にこれだけインターネットが普及し、一般人があちこちに移動している現代に戦争が起きたら、一体どんな情報規制が行われるのだろう。

自閉症の僕が跳びはねる理由

副題「会話のできない中学生がつづる内なる心」

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症である著者自身(執筆時、中学生)が、自閉症の特徴や行動の意味を説明・分析する。
「会話ができない自閉症の人が書いた」とは思えないというのが本音。

「なぜくり返し同じことをするのですか?」の回答に「好きであったり、楽しいから繰り返すのではない」とあり、驚く。脳からの指令に従っているのだと。
この指令に背くことは、地獄に突き落とされるような恐怖を伴うことなのだと。生きること自体が戦いなのだと。
「何度注意されても分からないのですか?」の回答も衝撃的。
やってはいけないと分かっていても、「やる→何かが起こる→人に注意される」という以前の場面を再現したい気持ちが勝ってしまうのだそうだ。
その気持ちに身体を委ねることはかなりの快感。我慢することはものすごく苦しいのだとか。
そして、それでもやめたい気持ちがあって、誰かに止めてもらいたいと思ってる。
「どうしてこだわるのですか?」の回答なんて、自閉症でない人と全く同じなんだよね。
「お散歩が好きなのはなぜですか?」の回答にはじーんときてしまった。
「自由時間は不自由な時間」という気持ちにはっとする。

「自分がうまくできないことを周囲の人ががっかりすることをすごく恐れている」とか「また同じことをしてしまった時の自己嫌悪」とか・・・ものすごく気を遣いながら、「自分などが生きていていいのか」という思いまで抱えている。
この本では、「なぜ、自閉症の人は〜をするのですか?」と素朴な疑問に1つ1つ答えていく。
物の見方や記憶の方法、ワクワク感、もっと知りたいという気持ち・・・ちょっと羨ましさも感じるほど。
自閉症でない人たちが環境や植え付けられた概念でグルグルになってるとしたら、自閉症の人たちはグルグルから解放されてる状態とも言えるかも。


伝えることが苦手という特徴が「どう苦手なのか」が分かって、今まで自閉症のことを全然分かっていなかったことに気付く。
「会話が難しい」という特徴は、「伝えたい気持ちがあるのに、違う言葉が口から出てしまう」「頭で文章を作るのに時間がかかる」であって、伝えたい事や考えがないのではない。
衝動的な行動にもちゃんと理由がある。
著者は会話はできないけど、訓練により筆談ができるようになり、パソコンで原稿も書くようになったらしい。
自分自身の表現方法を持たない多くの自閉症の方の気持ちを伝える役を担っているように見える。
著者は、「THE BIG ISSUE日本版」にも連載があり、他出版多数。

驚異の極限生物ファイル

極限の環境に生きる生物たちを紹介。
極限の環境とは、「極寒」「高温」「乾燥」「高圧」「深海」など、通常の生物であれば生命を維持できないレベルなのだけど、実際にどの程度なのかを読んでみると、ちょっとやそっとじゃない。吹っ飛ぶレベル。
他の惑星に行っても生きられるかもと思ってしまう。
皮膚が丈夫とか、器官のちょっとした発達程度でなく、生物体自身が通常環境に生きている生物と異なった生命体であるかのよう。
この本では、どういう身体の仕組みと工夫で耐えられるのかを分かりやすく説明してるので、すごさに実感が添えられるのだ。


それらの環境適合能力や進化は、たしかに「すごい!」のだけど、一方で「ゆるい!」のも特徴。
自分に合わせて環境を変えてしまい、結局自分たちが苦しんでいる人間と異なり、彼らは実にゆる〜く地球に適合しているよ。

ページをめくる毎に感嘆してしまうのだけど、この1ページ、この1行に研究者のエネルギー、時間、予算がどれだけ費やされたかと思うと、人間の探究心のすごさにも頭が下がるよ。

各ページにある「Dr.長沼のここが凄い!」がほんとに凄い!

常に氷の上にあるペンギンの足の静脈は、動脈に巻きついてるらしい。
動脈の熱を使って、静脈まで温めてるのだとか。




−70℃まで耐えられる北極に住む蛾「ハイアークティックモス」。
幼虫は、11ヶ月間は氷の中で冬眠。6月だけ地上に出てきて、日向ぼっこ。
成虫になるのに7年かかり、やっと大人になって出てきた6月には、卵を産んで死んでしまう。



50℃まで耐えられる砂漠に住むカタツムリ。



赤血球の形と面積を変えることで、酸素の薄い高地でも時速50kmで走れるビクーニャ



ヒレナガチョウチンアンコウは、オスはメスの20分の1ほどの大きさで、メスにくっついて生きる。寄生するんだね。
くっついていると、そのうちメスの血管がオスの体にはいって一体化。
栄養供給もここからされ、オスは自分で呼吸さえしなくなる。目も退化し、内臓もなくなるけど、精巣だけは残り、繁殖できるのだとか。



幼虫が原油の中で育つセキユバエ。




あのクマムシも登場。
乾燥すると仮死状態を維持することができる。
この状態にあると、150℃の高温、-273℃の低温、乾燥、アルコール、紫外線、真空、深海1万メートルの75倍の圧力でも大丈夫。
更に、放射線にも強く、5700Svを浴びても生存できる。(人間の致死量は5Sv)
でも、仮死状態でない時は、踏まれただけで死んでしまう。




こんな生物のことを知ると、火山の奥のマグマが地球の中心に繋がっていることが実感でき、地球の鼓動が聞こえてくるような気がしてしまうよ。

日本の海外旅行 −若者と観光メディアの50年史−

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

二十代の出国者数は1996年がピークで、10年で半減。
1985年のプラザ合意後に1米ドル約240円が120円になり、海外での費用が半額になったような感覚になった。
これが引き金となり、ビジネスや留学といった目的がある渡航しかなかった時代から「目的のない」海外旅行が急速に増えた。20代の人たちは、ただ「行きたい」という気持ちだけで海を渡るようになったんだね。
それにあわせ、ガイドブックや情報提供媒体も生まれ、また劇的に変化した。
「なんでも見てやろう」「地球の歩き方」「深夜特急」「猿岩石」・・・
日本の若者が、どんな旅をしてきたかを振り返る。
社会の変化を投影してる感じ。
「破格のグアムツアーは、使用料の高い成田空港に航空機を泊めないために、グアムに回送的に飛ばした便についでに旅客を乗せたから実現した」「るるぶのような大きさも内容も雑誌的なガイドブックは日本ならでは。欧米では文字だらけの辞書のようなガイドブックが主流」・・・等、たしかにそうだ!な話題も。
過度な安売り競争を嫌って、旅行会社に協力しない宿は、広告からも外されてしまい、お客が来なくなる。
「干される」んだね。結局、旅行会社の販売方針に乗らざるを得なくなる。
そんな旅行業界の事情も。

vol.68 お盆か?

uiui2015-07-02

桃とブドウ!



あと、ナスとキュウリがあれば・・・



お盆!!




じゃなくて、ボクの誕生日。


あ、いいものみっけ。


え。ボクの分はこれだけですか?



甘いものやカロリー高すぎるものは食べられないお年頃。
でも、ブドウの枝、だ〜いすき。

写真集「The Shark サメたちの海へ」

The Shark サメたちの海へ

The Shark サメたちの海へ

今まで見たことないショットばかり。しかも大接近撮影。
すばらしい。ゾクゾクします。

写真には全く説明はついておらず、巻末にサメの種類と撮影日と場所、そしてカメラマン鍵井靖章さんのメッセージ。
怖いサメではあるけれど、被写体に対する愛を感じるよ。
そういえば私も、グレートバリアリーフシュノーケリングをしていた時に、安全網の向こうにサメを見つけたのだけど、怖さよりも感動をおぼえていたっけ。
各サメの解説は短いけれど、写真を何度も見直したくなる驚き満載度。
ジンベイザメの摂食方法。
ジョーズ」のモデルになったホホジロザメは賢く、海生哺乳類に奇襲攻撃をかけるのが得意。(すごい写真あり)
母の子宮の中で、兄弟同士で共食いをして残った子だけが生まれ出る「卵食・共食い型」の繁殖をするシロワニ
眼が横に飛び出ているシュモクザメとは、どうしても見つめ合うことができなくて楽しくなってしまう。

アンコウみたいなサメもいる。
どのサメもなんて堂々としていて、美しいんだろう。
周りの魚(エサでもあるのに)との乱舞。海の中の日常に吸い込まれる。
先月刊行されたばかりの写真集。

犬たちの明治維新 〜ポチの誕生〜

犬たちの明治維新 ポチの誕生

犬たちの明治維新 ポチの誕生

幕末から明治維新の歴史やエピソードは、たくさん書かれてる。
でも、この本はその時代の流れに犬たちがどう関わっていたか、犬たちの生活がどう変わったか・・・という視点で書かれた歴史&民族史・・・かな。
日本史の教科書にも出てくるような人物や文豪と犬との関わりが、教科書には出てこないようなエピソードで紹介されているよ。


吉田松陰は、当時、日本人が外国へ行くこと自体が違法と知りながら、黒船にこっそり乗りこみ、異国へ連れて行ってもらうことを企んだ。
ところが、最初の計画は犬たち(地域に住みついている)に邪魔されて断念。
もう一度トライして、なんとか黒船に乗りこんだけれど、拒否されてしまった。



ところが、日本の犬たちは「お土産」として連れて行かれ、



あっさり国境越え。



異国人が犬たちに付けられた名前がステキ。
エド」「シモダ」「ミヤコ」など。
長い航海の途中で死んでしまった犬もいたらしいけど、それらの犬が最終的に誰のもとに預けられたかまで調査している。



そもそも、日本には飼われている犬などいなかった。
地域になんとなく居着き、よそ者が来たら吠えて、なんとなく地域を守っている。
犬といえば、そういった「里犬」。
里犬は、野良犬ではないという認識が新鮮。
あとは宮中などのセレブな方々の「狆(ちん)」のみ。
血統犬種は「狆」だけなのだ。(といっても、現代のような管理はしていないので混じってるかも)
異国人から見た「狆」の表現もおもしろい。思わず噴き出した。(「狆」がピンとこない方は、毛を長くしたチワワを想像していただければと思う)


異国の犬も日本にやってきた。
異国人が英語で「Come here!」と犬を呼ぶのを日本人は「カメや!」と聞き取り、以来、異国から来た犬はどれも「カメ」ということになった。


日露の条約締結交渉におけるロシアのプチャーチン川路聖謨のやりとりが楽しすぎる。
アメリカのハリス初代日本総領事のしっぽ談。
東禅寺襲撃事件を知らせた犬。
「生類憐みの令」が人民にどう受け入れられていたか。
エジンバラ公来日前に岩倉具視とイギリス公使が悩んだお祓い「狗吠え」。
天皇が自由に犬を飼い始めたのも明治維新
西郷どんの犬ざんまいぶりや西南戦争の実像も犬を絡めて考える。
祇園の名妓さん他の目撃者談を盛り込まれてるよ。
上野の西郷像製作逸話もおもしろい。
「犬死」の語源についての考証では、内裏での犬狩りが起源で、それが武士たちの流行語になったとのこと。


そして、「ポチ」の誕生。
「ポチ」という名前がどう発生したのかを検証する。
当時の犬の名前、人気ランキングまである。



時代は流れ、犬は「飼う」ものになった。
飼い主という「個」と首輪を付けられた「個」の「個&個」の関係になった。
もともと虐待もよく受けていた里犬たちだったけど、この関係になっていない犬は殺されることになった。
「殺されてはかわいそう」と飼っていない犬に、飼い犬と思われる札をつけてあげる人も少なからずいたらしい。
「犬の伊勢参り」がしばしば現れたのも、その影響だね。


通りがかった人が殺されないように札(飼い主の住所・名前付き)を付けてあげた野良犬。
この犬が、お伊勢様に拝伏したように見えた地元民が札を見る。
お伊勢様のご神徳かも!と思い、なんとか飼い主の元へ帰らせようとするんだね。
地元民や旅人がバケツリレー的に犬を運び(寝床やエサを提供)、お金や品を体に結びつけ、それが重くなると荷物を持ってやる者まで現れ・・・とうとう犬が札を付けてくれた人の元に辿りついてしまうという話。
伝説のような笑い話のような現象だけど、新聞にも掲載された実話らしい。


日本犬よりも洋犬が人気を得るようになり、それはステイタスシンボルにまでなった。
江戸時代には犬と散歩をするとか、旅行をする習慣さえなかったのに、外国人の生活が入ってきたことで、開通したばかりの鉄道には、犬の運賃・運搬規則が定められている。
銭湯に犬を連れて入る者まで出てきた。


村や町という共同体に自然に自由に生きていた犬たちの生活も、開国と同時に激変したんだね。
それを示す史料を集めたノンフィクション。