ファンタジー、空想の比較文化
- 作者: 伊藤淑子
- 出版社/メーカー: 新水社
- 発売日: 2014/03
- メディア: 単行本
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映画も小説もマンガも。
人間が宇宙に飛び出し、肉眼で見えない世界をコントロールする現代、以前は「魔法」にしかできなかったことを叶えられるようになってきた今、どうしてファンタジーが必要なのか。
しかも、子どもはもちろん、大人がファンタジーに夢中になる。
著者はその理由の1つを想像力のコントロールを取り戻したい欲求ではないかと説明する。
音楽も絵画も文学も「現代」ものは抽象的で難しい。それらに反比例して、不思議なことが起っても必ず解決・完結する分かりやすさを持つファンタジーが必要性を増しているのかもしれない。
この本では、多くの新旧作品を取り上げ、それぞれのファンタジックな世界を分析する。
「ONE PIECE」「月光仮面」「ベンジャミン・バトン」・・・
様々な思想が渦巻く社会で、「正義」は1つではないことが明白だけど、ヒーローものでは「正義」は1つ。
その矛盾を全く感じさせず、そのシーンに没頭し、夢中にさせるのがファンタジーの技だ。
「幻想としてのチョコレート」という項目では、「チョコレート・アンダーグラウンド」「ギブ・ミー・チョコレート」「チョコレート戦争」「チョコレート工場の秘密」と続く。
分析の視点もおもしろくて、「レミーのおいしいレストラン」はアレゴリーという観点。
「アルプスの少女ハイジ」「ピーター・パン」はアニメと原作では内容(オチ)が異なるとのことで、原作を読んでみたくなった。
ハイジは、資本主義の使者として説かれてるよ。その説明がおもしろい。
「不思議の国のアリス」では、アナーキーなアンダーワールドでのセルフコントロールの勝利。
現実では猛獣である熊がファンタジーになる「くまのプーさん」、そして「ナイトミュージアム」では、ポストコロニアルという視点。
こういう視点は、ファンタジーを楽しむためには“タブー”(というか屁理屈?)だとして無意識に無視してきたような気がする。
でも、実はそこに世界情勢や当時の文化という現実が如実に表れている。
バレエやオペラでは、「ジゼル」「魔笛」が取り上げられる。
昔話はファンタジーだらけだけど、その中から「ジャックと豆の木」「鶴の恩返し」。
「シンデレラ」には、「マイ・フェア・レディ」を絡めて考察。