レンタルチャイルド

レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち (新潮文庫)

レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち (新潮文庫)

インドのムンバイや近郊で、物乞いをして生きる子どもたちの実態レポート。
昔話ではありません。
ここ10年程劇的に変化をとげているインドのダークサイド。


タイトルの意味。
物乞いをするには、人の同情をかわなくてはならない。
健康な人がただ座っていても、誰もお金を恵んでくれないので、マフィアが誘拐してきた赤ちゃんを有料で借りて、「この子にミルクを」と言いながら憐みを得ようとするのだそうだ。
商売道具の子どもたち。
そうやって得た喜捨も大半をマフィアにとられてしまう。


そんなレンタル用の赤ちゃんも成長すると、そのままでは小道具として役に立たなくなる。
だから、同情をかってお金がもらえるように

眼をつぶす。

手や足を切り落とす。

火傷を負わせる。


マフィアにやられる場合もあれば、子どもが自分でやることも。
驚くべきことは、マフィアから逃げたいとは思わないこと。
一人では生きていけないから、少しでも「マシ」なマフィアとの生活を選ぶのだ。
マフィアも自分たちだけでは儲からないので、まさに持ちつ持たれつの関係になっている。



蔑まれている物乞いたちは、好きな異性に相手にしてもらえないどころか、結婚さえできない。
そんな状況が若い男性を性犯罪に向かわせたり、女性は体を売っていたりで、もはや生まれてくる子どもは誰の子どもかも分からない。


死にかけている物乞い仲間を公立病院で診察を受けさせ(無料)、もらった処方箋を持って、物乞いをする。
「親に薬(有料)を買わせてください」と言って。



いよいよ仲間が亡くなると、遺体を通行人に晒して、「火葬用の薪を買わせて下さい」。



もらったお金で、麻薬などの薬物を買う。
物乞い達の多くが、薬物中毒。



ここでまた驚くのは、そんな地獄のような環境しか知らずに生きていても、人間としての誇りがちゃんと残っている。
彼らのしていることはケダモノのようだけど、生きるために食べるために越えた一線なんだな。
もし自分が同じ環境にいたら、同じことをしている可能性だってあるんだな。



「貧困」って、お金がないことを示すのではないのかも。
単にお金がないなら、こんなおぞましい悪循環は起らない。
「貧困」って、「どちらがマシか」の選択しか与えられず、心の尊厳を守れずに生きることなのかも。
自分が貧しさにどこまで蝕まれているかも認識できず、1分1秒をなんとかしのいでいる。
産まれた時から、そんな環境にいたら・・・



こういう劣悪なサイクルを断ち切ろうとして、警察や政府が動いても、「一掃」するだけでは形を変えたサイクルが生まれるだけだったり。
浮浪児を保護施設に入れても、愛情のない冷徹な収監に耐えられず、子どもはすぐに脱走するのだそうだ。
おそろしく根が深い。



現地で実際にレポートし、子ども達と関わって書かれた文章には、暑さ、凄まじい臭い、色、不潔さ、グロテスクな風貌にされた肉体等が映像のように書かれてる。
思わずふいに、手を洗いたい衝動に駆られたり。
そして、更に読んでいくと、吐き気を通り越して、行き先の分からない憎悪のような気持ちが湧きあがる。




こういうレポートがあるからこそ、現実の発信を受けることができるし、世界の問題として考えることができるわけですばらしいと思う。著者の体を張った取材に敬服する。
でも、その一方で、外国人という完全な第三者がサポートや問題解決もできないのに、必死で生きている人たちの生活を取材で乱し、お金をばらまいて作った本で読者の好奇心を満たすことに抵抗も感じてしまう。

私もその一人。
身勝手だよね。