猿まわし被差別の民俗学

猿まわし 被差別の民俗学

猿まわし 被差別の民俗学

数百年前、「猿まわし」はお楽しみ芸であると同時に、正月の厄祓いのような儀式の1つで、春になるまで各地の武家屋敷をまわっていたそうな。
正月から春先まであちこち回れば、1年暮らせるほどの収入が得られる職業だった。
そして、それを生業とするのは、穢多(えた)・非人(ひにん)と呼ばれる被差別階級に限られていたとのこと。
その生活が詳しく分かる文献は少なく、「猿まわし」と差別の民俗学的繋がりを調べるため、猿まわし一族が住んでいたと思われる場所に赴いたりして、その歴史をひも解いている。
彼らが、現代の大道芸的存在とは全く違った存在であったことが分かってくる。




「猿飼」という地名が残っている所もある。
被差別部落として、猿飼たちが集まって暮らしていた記述も残る。





猿は馬の守り神であるという信仰もあった。
厩に猿の足をお守りとして置く習慣もあったらしい。
実は「馬や牛の病気を祓い、健康を守る」ために猿を舞わせるのが猿まわしたちの主な仕事だったそうだ。
芸をさせるのは、ここから派生したことだとか。
そして更に、動物をつかったこの職業は、そのもっと昔に穢多たちが牛馬の解体処理をしたり、皮や肉の利用をする仕事をしていたこととつながっていることが分かる。



「穢多(えた)」という言葉。
「えてこう」という猿を示す言葉。
蔑視を込めたつながりがあるらしい。


祈祷や口寄せを行うのが仕事である「イタコ」は「穢多下」という文字を使う。
これも激しい蔑視を込めたもの。
イタコには猿まわしも含まれていた可能性があるとのこと。
穢多もイタコも「呪的能力者」という共通点があり、災いをも呼び起こす者として、忌み嫌われ差別の対象だったのだ。
動物の屍解体という穢い仕事をしてきて、また、呪いで悪を呼び寄せることもする忌むべき存在・・・ということだね。


なんと、地方では、猿を食べる地域も珍しくなかったとか。
昭和初期までは、東京でも猿料理の店があったらしい。
また、肝、頭、肉から作る薬も人気があり、猟師は薬の製造・販売もやっていたんだって。


猿と文化のつながりは、想像と全然違ったなあ。