千利休とその妻たち(上・下巻)

千利休とその妻たち(下) (新潮文庫)

千利休とその妻たち(下) (新潮文庫)

茶人・千利休の物語。
大河ドラマ「江」と時代が重なるね。そうか、ドラマにも利休が登場してるんだ。
天下の茶人とはいえ、利休は大阪・堺の豪商で、商人魂も兼ね備えている。
そうくれば、女性だって数名は囲っているのが「かっこいい」のだ。
「わび・さび」とか言ってる利休だって例外ではないのだ。
へえええ。


情欲など、超越したかのような千利休が、人妻であったおりきを10年超えて想い続けて、想いを遂げる。
腹もたてる。
先妻のあさましい「武将好き」を嫌悪する。
秀吉のおかかえとなり、更に政治にも影響力を持つようになると、権力の居心地の良さを捨てて茶の心をまっとうできない自分がいやになる。
弟子たちの方がよっぽど純粋に茶の教えに生きてたりするじゃないか。恥ずかしいのう・・・と。
鼻と耳をそがれ、首を落とされても、まっすぐにこの道だけに浸った弟子。
秀吉のお呼びもキリシタンであるために拒絶し、命を落とした娘。
あぁ、それにひきかえぼわしは情けないのぅ・・・と。


世俗から離れて、自然と対話しながら茶を点てているどころか、時代の中心に座り、政敵との駆け引きまで引き受ける。
茶人として身についている「鑑識眼」「欲を超越した冷静な判断」などが武将に的確なアドヴァイスを与えるし、天下一の茶人とあれば武士といえども崇め信奉しているので人脈が広く太いのだ。
しかし、たしかにこの地位にいれば、茶の道を広めるには恰好の広報となるとはいえ、キンキラキンの茶室を作らされたり、お気に入りの茶碗を使えなかったり・・・



「茶の道は宗教だ」と言いつつ、「しかし、そうもいかんなぁ」という利休の人間らしい葛藤が伝わってくる。
後妻のおりきをべた褒めするくだりが多すぎて、「できすぎ」感がかえって彼女の実在感を薄いものにしているのは、おりきがキリシタンであった高潔さをアピールするためなのかな。まさに利休の煩悶を見守るマリア様的存在なのだ。


それにしても、信長も茶の道にはどっぷりだった。
信長も利休を重んじた。
名宝と呼ばれる茶器を持っている者から取り上げたりもした。
本当にとてつもない価格の茶碗や道具があるのだ。
この時代の「茶道」は、現代からは想像もつかないほど、絶対的な価値観をもっていたんだね。
茶室では、身分の差も武士も商人もない・・・・というのが真なのだけど、ブログもTwittermixiもない時代において、人柄や本性が顕われてしまう茶の一挙一動は、相手を知るための重要な場であったともいえる。
時に、命も翻弄するらしい。