「盗作疑惑」の研究〜「禁断の木の実」を食べた文豪たち

絵画なら、人が描いた絵を模写するのなんて珍しいことでもない。
ゴッホなんて、歌川広重の浮世絵を模写してたりする。


しかし、これが文学となると、ややこしい。


この本では、「盗作」を「リライト」という視点で分析する。
実際に原著と文豪の作品を並べて、そっくりぶりを指示して説明している。
これが「原著をヒントにして小説を書きました」では済まない「いただきます」ぶり。「原著の添削」と言ってしまえるほど、作家の創作性が見られないものもあるみたい。
リライトをした理由には、「純粋にいい材料だと思った」「原稿締め切りが迫っていたから」「楽に作品が完成するから」などとある。
ほんとかーい?


学校の教科書に載っていたあの作品が。
田山花袋の「田舎教師」が、森鴎外の「羽鳥千尋」「阿部一族」が、井伏鱒二の「黒い雨」「ジョン万次郎漂流記」が・・・
太宰の「女生徒」「斜陽」、徳富蘆花の「竹崎順子」は、人の日記や書簡の丸写しに近い・・・
読んでいて、あれらの作品に感動した自分が哀しくなるような気がしないでもないけど、かといって、常に彼らがコソコソとバレないようにリライトをしていたかというと違うみたい。
結構、悪気なくあっけらかんとやってたり、確信犯もあり。
著者の「盗作は一から十まで精神の問題である」には、なるほどである。
そんなわけで、リライトといえる作品の数は山ほどあるようだ。
この本では、「文豪の罪を暴く」のではなく、リライト作品の分類や書かれた経緯によって、「当時の文学」という存在が浮き彫りにされてくる感じで、とてもおもしろいよ。



無断転載でなく、原著作家の了解を得ていたとしても、原著作物の一部をそのまま使えば「盗作」になるという意見もあるそうだ。
著作権侵害行為となるのは、誰かの著作物を使って、新しい作品を作った場合だけど、この本では大きく4つに分類する。

1.元の著作物をそっくりそのまま、「いただきます」。
2.元の著作物に修正増減をしてるが、その作業において創作性が認められない
3.元の著作物の修正増減に創作性が見られるが、表現形式の本質的な特徴がそのまま残ってる。
4.元の著作物の修正増減に創作性あり。表現形式の本質的な特徴もなくなってる。




リライトの解説とともに、当時の文豪たちの様子が描かれ、興味深い。
森鴎外夏目漱石に対する羨望と焦り。
太宰が井伏鱒二の清書を手伝っていたのだけど、これがまさにリライト内容で、太宰はのちに「こんなすばらしい作品を書ける井伏さんは天才」みたいな皮肉に満ちた称賛をする。
井伏もこれに気づき、気まずい気持ちを吐露する。
しかし、のちに太宰もリライト作品を手掛ける。
そんな流れ。
原著を書いた人へ金品(口止め料)を渡したこととか。
作品を擁護する意見とか。



いやいや、創作とはなんぞや。