子どもの本に描かれたアジア・太平洋

子どもの本に描かれたアジア・太平洋―近・現代につくられたイメージ

子どもの本に描かれたアジア・太平洋―近・現代につくられたイメージ

例えば、有名な物語ビルマの竪琴」。
「竪琴を弾く日本兵が仲間をビルマに助けにいったのに戻らず、その後、彼にそっくりなビルマ僧がいた」というストーリー。
いまだに「ミャンマー」という国名が完全に浸透しない国だけど、日本はこの物語のおかげで、一層「ビルマ」の方がなじみ深いのかもしれない。
でも、この物語を現地の人が読むと、唖然としてしまうのだそうだ。
まず、苦しい修行を経て、尊い存在となっていくビルマの僧は、音楽などの娯楽はしない。
それに、場面設定では、現地の人が野蛮人扱い。
仲間を想う兵士のストーリーの底辺に、場面となった地域への侮辱が平然と流れているのだ。


19世紀〜20世紀半ばの日本の子どもは、雑誌や児童文学などのメディアによって、アジアや太平洋の諸地域のイメージをどのように刷り込まれたか。
明治以降、憧れとなった欧米文化とは異なり、アジア・太平洋地域は日本にとって、常に政治的・軍事的・経済的に緊張感のあるものだった。
そして、日本の敗戦によって、刷り込まれ信じてきた認識や関係がガラリと変わってしまった。
教科書にしても、少年雑誌にしても、そこに劇的な変化が現われたのはたしかに想像はできそうけど、実際に作品やサンプルを例に挙げて、検証する試みは、実は今まであまりなかったそうだ。


単に「ニッポンすばらしい」と直球のメッセージを投げるだけではなく、感動物語の中に、先の「ビルマの竪琴」のようにゾワゾワゾワと相手国を卑しめる設定がなされていたりする。正義感や母国愛を利用した侮辱だ。
しかし、そんな風に少年たちを洗脳していく間にも、堂々と「相手国を卑しめずに褒めている」ととられかねない文章を残したものがある。
しかもその物語は封印されずに奇跡的に生き残り、子どもたちに読まれたのだ。
「ハタノウタ」がそれ。
「日本に助けられて、日本のために戦うことにした中国の少年が、銃弾に倒れた。ところが、衣服の下に身体に巻きつけていたのは、自分の国の国旗だった」というストーリー。
義をまっとうする中でも、母国愛を失わなかったという点が、闇に葬られずに生き残らせた理由だとか。



教科書だけでなく、様々な活字メディアから、少年少女たちの世界観がどう作られていったかを探る。
少年たちを当時熱狂させた「冒険ダン吉」の描いた南洋とは。「亜細亜の曙」、「真珠艦隊」。
戦後、それまで使っていた教科書に、敗戦により黒く塗りつぶされた箇所がある。その教科書を手に勉強させられ、教育内容が急変した子どもたちの想いとは。
偉人伝が消え、マイナス面や失敗を含めた人間の歩みが書かれるようになった伝記の変化もなるほど!だ。



そして、戦争中に子どもたちに平和とは逆のメッセージを自ら植え付けた作家たちが、罪の意識からか、戦争終了後にその事実を封じ込めようとする虚しさ。