永遠の0(ゼロ)

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

「ぼくと姉」には、母方のおじいちゃんが2人いる。
というのは、最初のおじいちゃんは、結婚してまもなく第2次世界大戦で特攻として零戦に乗って亡くなり、おばあちゃんが再婚したからだ。
あばあちゃんと再婚のおじいちゃんはとても仲が良く、おばあちゃんが亡くなった時、おじいちゃんは号泣した。



あるきっかけで、最初のおじいちゃんである宮部久蔵のことを調べることになった。
出会ってから結婚するまで、ほとんど口もきいたことがない。実質の結婚生活はわずか。あとは日本と戦地で離ればなれのまま戦死。
写真も残っていない。
あの時代、よくあったことなのだろう。



おばあちゃんでさえ語らなかった亡くなった宮部久蔵のことを戦地で一緒だった人たち、しかもかなりの高齢に達している人たちを探し出して、僕と姉はインタビューしていく。
零戦に詳しい著者ならではの知識と研究で、戦争体験の表現はかなりの臨場感。
緻密に描写することで、遺書や遺品に残せなかった兵士たちの想いを代弁する。言葉にできなかった言葉を代弁する。
故障した零戦九死に一生を得るような飛行で、やっと島に近い海に不時着させた兵士を、島からも迎えに行ったが、連絡から1時間も経っていないのに海にはサメの群れがいただけだった。そんな死もある。
無謀な練習で散る命も少なくない。
読んでいくうちに、日本が負けた理由が現場の検証で伝わってきたりもする。
だけど、あまりに戦争の話ばかりが続くので、小説ではなくて戦争ドキュメンタリーだっけ?と思ってしまいそうになるのだけれど、これは著者が意図的にしてることなのかな。
映画ではこの「戦争の実感」は表現しにくいかも。単なるお涙系のストーリーで終わってしまいそう。
と思っていたら、友人情報によると、マンガ「アクション」で連載されているらしい。



インタビューが始まった頃は、「死ぬのをこわがる、臆病な情けない兵士」というおじいちゃんの姿が浮かび上がってきて、ぼくも姉も気落ちするのだけど、「なぜ死にたくないのか」が分かり、そのために恐ろしく「生きた」ことを知る。
戦地でもすぐに死ななかったのは、逃げ回っていたからではないことが分かり、宮部久蔵はだんだん過去の人でなくなってくる。
深く生きると、過去・現在を問わず、人の人生と連動するんだな。
インタビュアーたちの人生が、宮部久蔵の「過去の生」によって生かされていることが判明していくくだりは、涙。号泣の人もいるのだろう。
読み始めた時には、全く予想できなった展開だ。
いかにもフィクション的な、兵士たちの生のつながりは、現実としてありうることと確信する。
一方で、「今生きている」はずのぼくと姉の人生が薄くて、現実味のないものに感じてしまう。



最後に、おばあちゃんが亡くなった時に、再婚したおじいちゃんが号泣した理由が明かされる。
せつなくて泣けます。ここでもう一度滝涙かな。
「ぼくと姉」、出てこなくてよい!とか思ってしまう。
ただただ読者を泣かせてやろうという展開でないので、チリチリした痛みをともなった感動。