死にカタログ

死にカタログ

死にカタログ

以前にも書いたけど、この年齢になって初めて、亡くなった人を見たのが数カ月前。
ご近所のお付き合いのような形で参列したお葬式。
遠い席から仏様を窺うだけだと思ったら、



ご親族「どうぞ、顔を見てやってください」




!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





は、は、は、初めてなんですっ!



とも言えず、心の準備もなくご対面と相成りました。
怖くはなかったけどね。
でも、相変わらず、「死」は漠然としています。
自分の死も怖いと思わないのは、死を知らないからかもしれません。



この本は、その漠然としたイメージを愉快なイラストで表わしています。
いろんな統計資料もイラストで表現。
そうか、死の原因はともかく、日本人が死ぬ場所の8割は、病院なんだね。
幸せなことなのかどうかは、ちょっと分からないけど。
ホスピスや在宅医療、ターミナルケアなども考えられている昨今では、「いつ、死がやってくるか」と同時に「自分の死をいつにするか」を考えなくてはならない時代。




民族・宗教・思想による「死」のイメージの違いも比較されてます。
仏教だと、こう。
死=ほどける

仏教の四大分離の思想では、人間は「地=骨や爪」、「水=血液・リンパ液」、「火=体温」、「風=手足・心臓の動き」という要素が「縁」で結びついたものと考えられているとする考えがあるそうで、死とは、この「縁」がほどけて、4つがバラバラになること。本来の姿に戻ること。
そんなイメージだそうです。
私、この考え方、ちょっと好きかも。


ジプシーなんて、すごいよ。



「いなかったことになる」


存在がなかったことにしてしまうので、死んだ人の名前や思い出も話さないし、遺品も残さないんだって。
死んだ人はいないということは、「生きている人しかいない」ということ。
さっぱりしたもんだ。



他に、「コオロギになる」(フィリピン・スーロッド族)とか。



「ハエになる」(フランス・ブルターニュ民間信仰)とか。



なんで、ハエ?
そういえば、オルセー美術館展の陶磁器に、美しい女神と水連が象られ、そして、水連の葉に




大きなハエ




というのがあった。
フランスって、ハエ好き?


人生を模型化?したイラストなんかもおもしろい。
手塚治虫は、漫画家として上り詰め、頂点を極めた。
イラストには、なんだか見たことあるようなキャラクターがすごくヘタに描いてある。


ヒトラーの場合は、画家になる夢を失い、投獄されたところで人生が「くぼんでる」けど、その後ぐんと登っていき、自殺する。



実在した有名人に人生ばかりをとりあげているわけではない。
ハチ公やごんぎつねなどの動物も。
下は、何の人生でしょう?





カフカの「変身」に登場するグレーゴル・ザムザです。
童謡「大きなのっぽの古時計」のおじいさんや、「フランダースの犬」のネロ少年の人生も模型に取り上げられています。




あぁ、なんだか死のイメージがわいてきた!(実は、遠のいてるような気もする)


決して、おちゃらけているのではなく、まじめに、でも肩の力を抜いて、死を考えている本なのです。