精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

明日から、精神病院をなくして、檻の中に閉じ込められていたり、ベッドに縛り付けられている狂人は、街に解放します。




そうなったら、どうですか?
怖くて、外に出ることができなくなりますか?
子どもを学校に行かせるのをやめますか?





イタリアでは実際に精神病院を廃止した。
しかも、狂人による事件が増えたという報告はなかった。
精神病院の代わりに用意された地域精神保健センターとは。
どうすれば、そんなことが可能なのか。




2006年6月に、日本の法文では、「精神病院」という記述が「精神科病院」に代わった。
前者だと、精神病を患っている人を収容する施設というイメージが残っており、精神科医療機関に対する国民の正しい理解の深化や患者の自発的な受診の妨げになっているというのが理由だそうだ。
でも、この本では、そんなイメージが作られることになった本当の理由を明確にするため、あえて「精神病院」「狂人」という言葉を使っている。





著者がすごくてね、取材するためにアルコール依存症を装って、都内の精神病院に入院している。
ニセモノのアル中は、ニセモノなのにホンモノと診断された。
40畳の部屋に25名の患者が押し込められ、居間兼寝室権食堂のその部屋で、ほぼ24時間過ごす。
薬漬け。
おぞましい光景・屈辱的な扱いは日常的。
トイレには、仕切りはない。
認知症の患者は、「不潔部屋」という名の部屋に入れられる。





退院を申し出ると「アル中は、治っていない」と。
ニセモノなのに。
お酒なんて、もともとたいして飲めないのに。
治療費が払えなくなったと言って、やっと退院させてもらえた。
病院に、「治っていない」と言われ、何十年も幽閉されている患者が山のようにいるのだ。





精神病院の多くは、医療行為をするところではなかった。
患者は、できるだけ長くたくさん閉じ込めて、お金を搾取するための道具としてしか見ていなかった。
イタリアも初めはそうだったらしい。
ジュゼッピーナは、「狂人の中の狂人」「狂人の女王」とまで呼ばれた患者。
統合失調症と診断され、裸で暖房器具につながれていたのを発見されるまで、22年間も精神病院にいた。
精神病院解体を仕切る人物がこの女王を集中的にケアするプロジェクトを立ち上げた。
そこには、24時間オープンで、人間らしい生活とコミュニケーションが存在し、患者を社会に復帰させるための環境があった。
医師、看護師、ソーシャルワーカー作業療法士らが支える。
裸でつながれていたジュゼッピーナは、このプロジェクトが始まって、病院の外のレストランに行くことになると、ちゃんと身なりを整え、食事はナイフとフォークを使うようになった。
そして、病院に戻ると、また手づかみで食事をした。
施設や環境が、精神病を深くし、薬漬けの生活が副作用で更に病気を悪化させていたことが明らかになった。




イタリアには100年も前からある「司法精神病院」というのもある。
服役中に精神疾患になった場合もあるけれど、精神病を患っている時に犯罪を犯した者は、刑期を終えても「刑務所から出すのは危険だ」という偏見から、治療とはいえない幽閉生活をさせるためにこの病院に入れられ、ほとんど無期囚のような人生を送るのだ。
イタリアの改革は、この司法精神病院にも及んだ。
「病気だったのだから、罪は帳消しね」ではない。
「罪をちゃんと認識させる」ことが大事なミッションなのだ。





公的な施設となれば、運営予算の問題がある。
政変があれば、医療方針も変わってしまう危険があるしね。
だけど、このイタリアの改革は、夥しい数の「生協」やボランティアやマスコミにも支えられ、20世紀が終わる頃からしっかりと根付いてきているのだ。
人件費の壁が壊せない日本が、今でもまだ、精神病院を作ろうとしているところだけど、別荘のように豊かな環境の地域精神保健センターならば、恐ろしくコストがかかるだろうと思ったら、なんと従来の精神病院よりもはるかにコストダウンが図れるサイクルができているのだから、びっくりだ。



精神病を患う人への理解が私自身にも全くないことに気づいたのが、幻聴や妄想の話。
これらの症状があり、夢と現の区別がついていない奇行をすれば、即「あなたは精神病です」と決め付けられる。
いよいよ入院させられるとなると、当人は驚いて暴れる。
これで、キチガイの烙印が決定的になる。精神病院に入れられるとなれば、誰だって暴れるのが当たり前なのに。
幻聴や妄想を抱える人に対しては、まず「単なる思い込みか現実なのかを判断できない辛さ」を受け止めてあげることから始める。
そして、これらの症状が「隠すべきこと」ではなく、オープンに話せ、患者自ら対処作戦を考えれるように持っていくのだ。
そこからがまたおもしろくて、みんなで「大妄想・幻覚告白大会」などというものを楽しんでしまう。




表彰状
2009年度 幻覚&妄想大会グランプリ賞

あなたは、この度幻聴さんにフラワーハイツを「出て行け!」と言われたことを忠実に実行に移し、近所の駅の公衆トイレに「引越し」され、トイレ掃除に来た清掃員のおばさんに発見されるまでの四日間、公衆トイレを「幻聴の匠」として、寝やすく、幻聴さんを寄せ付けないすばらしく快適な居住空間として改装されたほか、幻聴さんの「キムタクが好き」というリクエストに従って「キムタク」の映画の看板(実はオダギリ・ジョーだった)を部屋に運び込むなど目覚しい活躍をされました。
よって、ここに栄えある09年度「グランプリ賞」を授与し、記念品として幻聴さんに振り回されないという効果がある自称「浦河のキムタク」川村ドクターのポスターを差し上げます。




病的破壊行為の常連者は、「破壊行為をやめられない人」ではなく、「破壊行為を止めたいと思っても止められない、という苦労を背負った人」という理解をする。
精神病患者に携わる人間の方針も、患者自身の自己分析も随分と変わってくることに気づく。



この改革は、成功ばかりではない。
でも、強者の生活を守るために幽閉されている弱い人たち。
その人たちの人生を取り返すために、国が動いていて、結果を出している。
なんだかとても刺激的。