小林多喜二の手紙

小林多喜二の手紙 (岩波文庫)

小林多喜二の手紙 (岩波文庫)

現代においてブームを巻き起こすなんて、当の小林多喜二本人も考えてもみなかっただろう。
小樽の銀行に勤めていた頃、生涯の恋人と言われるタキを借金までして身請けする。
その時期に書かれた手紙から、治安維持法に触れて投獄され、出獄後に特高特別高等警察)によって虐殺されるまでの159通の手紙が集められている。(実際はもっとたくさん書かれていた)
多喜二の死やその処置には、かなり不明な部分が残っているらしく、「心臓発作で急死」と警察は言うけれど、遺体には正常な部分が残らないほどに体中が痛めつけられていたそうだ。
特高の拷問を暴露し、自らの思想を貫いた彼は、当時の軍国主義には脅威だったのかもしれない。




読み始めた時には知らなかったけれど、表紙に印刷されている手紙は、1933年2月20日に殺される前の最期のタキへの手紙。
「幸福に!」などという言葉は、デレデレのラブレターの時にさえ書かれていなかった。
これが最期という予感が多喜二にあったのだろうか。
タキへの手紙は残っているけれど、タキからの手紙は全くない。
理由は今となっては分からないけど、タキでなくても危険を感じて、多喜二からの手紙をすぐに処分してしまった人も多いだろう。





おもしろいのは、通常の書簡集だと時系列に並べられているのに、この本では宛先別に並んでいるんだよ。
手紙は、関係者だけでなく一般の人にも広く提示を求めて集められたもの。
多喜二の手紙は、伝えられる強靭な姿勢とは違って、とても落ち着いたやさしい口調だ。
タキへの手紙なんて、トロケそうにやさしい。
投獄されてからは、自分の方がよっぽど大変な境遇なのに、それでも相手の心配ばかりしている。タキや家族を守るための細かい指示もたくさんだしている。




一方で、友人たちには、丁寧な言葉遣いで差し入れの御礼を書きつつ、「あれと、これと、それと・・・」と本の調達依頼には遠慮がない。
また、「××という作家の本○○はためになるから、必ず読め」、「俺の作品が上演されているが必ず観て、感想を聞かせろ」云々と押し付けがましかったり、強引だったり。
そんな様子からも、独房にいても思想は渦巻いている様子が伝わってくる。
手紙を読んで、ちょっと驚いてしまったのだけれど、文学者でない恋人タキにもその調子だから、タキが家出をしたのも、多喜二に疲れてしまったのかもしれないとも思う。





独房での自分に対する悲観は、やや自嘲的な可笑しみでぼやかしている。
手紙は、出すのも受けるのも厳しい検閲があるため、市ヶ谷の刑務所から都内に送っても、相手に届くまでに20日もかかる。
そして、相手がすぐに返信を出しても、それが多喜二に届くまでに更に20日かかる。
そんなわけで、俺に毎日手紙を書けと周囲に要求する。





差し入れてもらう本もかなりの検閲があるから、要求したものが却下される確率が高いわけで、わざと「普段はプロレタリアな自分が絶対読まない本」を選んでみたりする。
そんな本の選択も、「敵をやっつけるには、敵の材料によることが一番だから」という理由からだ。
また、読みながらそういった本を軽蔑するのではなく、「今まで自分が書いてきたものは小説ではなく、ただの綴り方だったように思う」と、勉強の姿勢は常に前向きだ。




3畳ほどのコンクリート壁に囲まれた独房では、毎朝早く起きて、冷水摩擦をする。
寒くて手が腫れて、手紙を書けなくなるほどの冬でも、だ。
そして、体操も欠かさない。
差し入れてもらった鏡は貴重だ。
独房でも、2人でいるような気持ちになれ、実際に会話をしていたそうだ。
はっとするような感性と表現が刻まれていて、手紙がそのまま文学になってるね。
言論弾圧で投獄された人の手紙は、私信でも新聞などに公開されていたのを多喜二は知っていたから、自分の手紙が公の目に触れることは予測していたとは思うけど。




ほんとにすさまじい人だな。
警察が恐れるわけだよ。




当時の文学が、「娯楽」でなく、社会を動かすツールであったことにぞくっとしたりしてね。