団十郎の歌舞伎案内

團十郎の歌舞伎案内 (PHP新書 519)

團十郎の歌舞伎案内 (PHP新書 519)

十二代目市川団十郎さん(「団」の字はこれではなく、難しい方なのですが変換できないので、こちらを使います。ごめんなさい。)が平成19年9月に、青山学院大学文学部・日本文学科客員教授として集中講義「歌舞伎の伝統と美学」を行った時の内容をベースに、団十郎さんが歌舞伎をはじめ、日本芸能について考えたり調べたりしたことをまとめた本。といっても、堅苦しい話はなし。雑学おもしろ本みたい。
団十郎さんは、歌舞伎の事しか知らない狭い人ではない。
宇宙も好きで、ロケット内で歌舞伎を演じたい、宇宙は真っ暗だから自然の暗幕だ・・・などとおっしゃる。
白血病を乗り越えて身体のことに詳しくなると、星の数より人間1人の細胞の数の方が多いことに気づいて感動する。
初代から自分までの個性豊かな団十郎たちが全員揃って話してみたいなどと楽しいことも考える。
世界観の大きい人だね。





ご本人自身が小学校から高校まで青山学院に通っていたそうだ。
私が感動した小説「きのね」の主人公は、この団十郎さんの実の父親だ。
格式ばかりで難しいと思っていた歌舞伎の世界がえらく身近な予感。
日本文化の重要な位置にいるわりに、なんだかおちゃめな雰囲気。
事業仕分けの際には、歌舞伎の世界から「民族を絶やすには人を殺せばよいのではない。言葉や文化を奪った時に民族は絶えるのだ」といった内容を伝えて、文化活動費削減に訴えていたっけ。
歌舞伎は400年も日本を観続けながら、今も生きてる文化なんだね。







江戸時代から続く歌舞伎史上の大家である市川家。
ここの団十郎を一代目から、特徴をご紹介。
一代目「豪快」、二代目「話術」、四代目「実悪」、七代目「革新」・・・
そんなキーワードを元に、同じ団十郎でもそれぞれに個性が全く違うことを説明する。
「この代は、早死にでたいしたことはやってない」「役者はイマイチだったけど、文化人としてはすばらしい」とか、正直な感じです。(^^;)




二代目は、初代が殺されてしまってから血のにじむような努力をしたこと。
これがすごい。
外郎売」の長い長い台詞を地回りの者が二代目が言う前に言ってしまった。嫌がらせで。
そしたら、なんと二代目はそんな事態も想定していて、その長い台詞を後ろからさかさまに言うというすさまじいワザを見せたと。




アイディアマンの七代目が「十八番」というものを決めたのだそうだ。
芝居の宣伝の意味もこめて、「歌舞伎狂言組十八番」として18の狂言を選んだとのこと。
「暫」「矢の根」「関羽」「勧進帳」・・・・と。






それから、割腹自殺した八代目。
原因不明。





おもしろいのは、歌舞伎や能・狂言浄瑠璃・・・がそれぞれ独立した無関係な文化ではなく、それどころか能楽を「本行」(ほんぎょう)と歌舞伎世界は呼んでいるらしい。
つまり、能楽さんが本物で、わたしたち歌舞伎はそのパロディよ(とまではいかないけど)みたいな謙遜の感覚があるのだそうだ。
団十郎さん曰く、「ほんとはそんなことないけどね・・・」だそうですが。
たとえば、能舞台を参照して作られたと思われる歌舞伎の舞台。
揚幕にある金具は、能の場合全て上向きなのに、歌舞伎のは真ん中の1つだけが下向きなのだそうだ。
これについて調べても分からなかった団十郎さんが、年配の大道具さんに尋ねたところ、「歌舞伎は能のパロディみたいなものだから、全部を真似するんじゃなくて、あえて1つだけ反対したのではないかという答えが返ってきたんだって。
やっぱりそういう関係があるんだねえ。





水引きなど「結ぶこと」に独特文化のある日本だけど、バックステージでは、縄を結ぶ箇所が多いらしい。
昔は独特な縄結びが仕事柄得意な船乗りさんが舞台裏で働いていたそうだ。
団十郎さんがもっと調べると、なんとフランスでもバックステージを船乗りさんが操っていた事が分かったとか。
意外な共通点が。




それから、楽器。
それまでリズムを刻む楽器が主流だった和楽器に、メロディを奏でられる三味線がはいってきたのは画期的なことだったそうだ。
(琴はあったけど、場所をとるし高価なので、庶民には不向き)
ああ、白塗り(化粧)の話もあった。
あの隈取は市川家が見出したものらしい。
おしろいの素材は、最初は鉛。紅は水銀。
とても身体に悪かった。
現在の紅は、岩から作るものと動物や植物からできるものがあるそうで、動物から作るものとしては、メキシコにいる小さな虫のお腹にある、ほんの少ししかない赤い物質をかき集めるのだそうだ。
とても高価。
びっくりだね。





役者から見た歌舞伎の名作ウラ話は、有名な演目のストーリー紹介とエピソード。
おもしろどころの解説。




ますます歌舞伎に興味をもってきたよ。