日本人と中国人どっちが残酷で狡猾か〜乱世は論語に学べ〜

日本人と中国人どっちが残酷で狡猾か―乱世は論語に学べ

日本人と中国人どっちが残酷で狡猾か―乱世は論語に学べ

過激なタイトルに、どれだけ踏み込んだ話しが書かれているのかとワクワクしていたのだけど、そういう意味では期待はずれ。
渡部昇一さんと孔健さんが、乱世から現代に至る中国と日本について、小テーマを掲げながらの対談っぽい討論をする。
論語も語られるけど、儒教儒学の違いや、更に仏教・道教が日本にどう扱われていったかなど、文化の成り立った大きな背景が見える感じ。
時にお互いの愛国心のためか、空気にピーンと緊張感が漂うけれど、知的なお話しが多いです。←一体何を期待していたのか?
ヘンな謙遜やお世辞がないため、テンポがいいね。




このお2人は、上智大学大学院の先生と卒業生という関係でもある。
そして、孔健さんは、孔子の75世の子孫だそうだ。
孔子の子孫は、110代まで名前の二文字が決められているそうだ。
孔健さんの本名は、「孔祥林」というのだけれど、「祥」の字は75代目の子孫につけると、生まれる前から決められていたのだとか。
76代目の孔健さんのお嬢さんには「令」という字が決められていたので、もちろん名前にはいっている。
77代目は「徳」、78代目は「垂」らしい。
110代の最後までいったら、また元の「孔子」に戻るんだって。
75代目の孔健さんまでに2500年かかっているから、最後までいくまでにあと1000年くらいかかる計算になるらしい。
時間の感覚が違うねえ。





庄内藩のエピソードもおもしろかった。
戊辰戦争で降伏したけど、西郷隆盛のおかげで悲惨なめに遭わずにすんだこの藩は、西郷どんのアドバイスで、ドイツに留学生を送る。
でも、帰国したら西郷どんはすでに逝去しており、その上、西郷びいきということで左遷のような扱いを受けてしまう。
怒った留学生は、とっとと田舎に帰ってしまい、とうとう、大名で東京に本邸を置かないない唯一の藩が庄内藩となったらしい。
でも、そのおかげで、殿様が常に田舎にいて、家来も散らばらずに田舎にいることができ、旧幕時代の文化がしっかりそのまま残った。
山形県の鶴岡で、論語孟子が妙に盛んで、木版本まで作っていたのは、そういう訳だそうで。




また、日本は、仏教国だから、肉を食べなかったわけで、そのため食肉用の動物を飼う習慣もないとなると、「去勢」という観念や技術も進まないらしい。
「そんな残酷なこと!」となるのね。
それがひいては、日本のように女性の天皇が認められた環境につながるとか。





それから、日本の宮中には、いい家柄の女性しか入ることが許されなかったので、「悪い女」はいないから、中国のように纏足(てんそく)をさせる必要もなかった・・・・など。
以前、中国の悪女ばかりを集めた本を読んだ事があるけれど、悪女=野望のために残酷になれる女ということかも。
それに、日本では、どんなに天下を欲しいままにするほど力を得ても、天皇にはなれないね。
あの藤原道長でさえ、天皇になろうという発想はなかったらしい。
中国では、新しいエンペラーが登場すると、クーデター防止のために、前のエンペラーの遠い親族まで皆殺しにされていた訳で、王朝がかわると主たる民族ごと変わることもあるんだね。




論語に関しては、周囲の国々の取り入れ方にも触れている
韓国は「儒教」を取り入れたけど、日本は「儒学」として江戸時代の哲学に合った部分だけを取り入れたとか。




やっとタイトルに近づいたかなと思ったのはこの話題。
団結することが苦手な中国人は、外部の侵略に結集して対抗すべき時に、内部紛争にかまけて、主に漢民族同士の権力闘争にエネルギーを注いでいた。
「1人の中国人は、1人の日本人に勝てる。しかし3人のに中国人が集まったら、2人の日本人に絶対に負ける」と多くの中国人が考えていると孔健さんは言う。
2人の日本人は、日本人同士で力を合わせるけど、中国人は内部分裂し、3人のうち誰かは日本人側についてしまうからだというのだ。
中国では、1人が出世する陰には、足を引っ張る40人がいると言われるほど、仲間の1人だけが出世することを嫌う体質があるとのこと。
そうなの?