トイレに住みついた少年 

トイレに住みついた少年―熱血カウンセラーが見たひきこもりの現実

トイレに住みついた少年―熱血カウンセラーが見たひきこもりの現実

「熱血カウンセラーが見たひきこもりの現実」という副題。
ひきこもりのケースでは、本当にトイレに住んでいる少年(家族は公園のトイレなどを使っている)や炬燵に住みついている少女、整形をやめられない女性、エリートから転落した男性、常識を脱したいやがらせや暴力を行う青年・・・様々な状況があり、中には精神科医も投げ出してることもある。
病気とひきこもりの判別も難しい。
黙り込んでいる人もいれば、多弁な人もいる。
だけど、多分、この本が訴えたい大きなポイントは、ひきこもりの原因が本人というより「親」にあるということだ。
何十年もひきこもっている中年男性のひきこもりは、過保護がひどい母親から自立できないことが原因だった。
また、夫婦関係が荒れていると、子供を受け止める余裕がなかったり、更にはその子供に親への復讐心が芽生えたりと、すさまじいもつれとなる。



熱血とは、感情的ということではない。
もちろん熱い想いなくしてはできない、もはやカウンセラー自身の精神と命を懸けた仕事になるのだろうけれど、現実をありのままに正しく伝えるために、50のケースをカウンセリング依頼・初対面時の状況・対応・結果と淡々と報告している。
プライバシーの侵害や越権などで踏み込めない壁を壊して動き、ひきもっている人間を岩戸から引き出すために動く。
学校の先生や精神科医に怒られながらも、マニュアルに従わず、当人の心に寄り添うのだ。
「私はすごいカウンセラーなの」という自賛的な内容ではなく、カウンセリングを途中で辞めざるを得なかったケースや死という終了もあった。
カウンセリングを受ける当人は、10代の未成年もいれば大人もいる。



うちには、今、全くひきこもりの傾向はない。
だけど、「あぁ、うちには無関係でよかった」ということではなくて、どうしてうちはひきこもることなく充実した生活となっていられるのかと、ちょっと考えてみた。
だって、ひきこもるきっかけなんてほんとに些細で、始まりは唐突で、しかも気付かないうちに沈殿していったものが血流を止めてしまうような感覚でその人を動けなくしてしまっているからだ。
「むかついたから殺した。誰でも良かった。」という人たちをそこから引き上げるのは、罰ではなく、こういったカウンセリングにしかできないのではないかと思う。