私は貝になりたい

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小説じゃなくて、脚本版。
1958年にテレビドラマとして放映されたことも、そこで爆発的な人気を得て、映画化されたことも私は知らなかった。
この昭和33年の年表に、



「テレビ、三種の神器に昇格」
「皇太子妃に正田美智子さん決定」



などという言葉に並んで、




「『私は貝になりたい』放映、悲劇の戦犯に共感の涙」




と書かれていたりしたらしいから、反響がどれほどのものだったか想像できる。




そんなわけなので、解説的なことを書くのは野暮な感じね。
中居くんの映画も見てないけど、きっと泣けちゃう自分も想像できる。
でも、意外だったのは、脚本を書いた橋本忍さんの想いだ。
昭和33年の映画化の時に書いた脚本を黒澤明さんに持っていったら、






「橋本よ、これじゃ貝にはなれねぇんじゃないかな」






と言われてしまったそうだ。
根幹となるものや完成度についての危惧を抱かれながらも、自分ではどうしようもない上に世評はとてもよかったため、そのまま映画をGOにしてしまったらしい。
橋本さんは、書き上げたものは絶対に書き直さないというポリシーを持っているにも関わらず、40〜50年もそのことが気にかかっていたのだそうだ。



平成6年に2度目のテレビ放送した時も、脚本としてはイマイチなのに、世評は良いという乖離を埋めたかったのに、やっぱりうまくいかず。



そして、平成20年。
身体を壊して離れていた橋本さんが、「書く」という作業によって、かえって、生を鼓舞出来る自分に気付いて、貝になりたいを書き直し始める。
それが、今回の脚本だ。
半世紀かけて、職人から、産み直されたものなのだ。



豊松は、国に従順で、その日その日をやっと生きてきた人間。
誰の害にもならない素朴なお人よし。
戦犯という肩書きが滑稽に感じるほどの男だ。
この男が貝を選ぶことで、最後にやっと救われているかのようで、痛いような気持ちになった。







さてさて、明日娘3号は、学校の教育一環で「職場体験」に行く。
グループごとに好きな職場を選んで、許可をもらい、「働く事」を体験してくるのだ。
育ち盛りの生徒達が行きたがるのは、やはり、




ケーキ屋
マクドナルド
サーティンワンアイスクリーム
イタリアンレストラン
蕎麦屋





それから、それから。



エプロンと三角巾をもっていって、仕事を体験したあとは、







むふふ♪(試食の野望)








で、娘3号のグループが行く事になったのは、








井の頭動物園









である。
ここを推薦したグループの1人は今でも恨まれている。
娘3号は今日も「ありえない!」と怒りを隠さない。



おい。