「君主論」と「寓話」by マキャヴェリ
- 作者: ニッコロマキアヴェリ,Machiavelli,池田廉
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/04/25
- メディア: 文庫
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「理想の君主になるためのチャート式」だと思ってた。
君主の対極にあるような私が読み始めると、テキストは目で追ってるのに、肌にはいってこない〜〜〜〜〜〜〜〜
・・・・・・・・・あ、寝てた。
みたいなことを繰り返すのだけれども、どうも読み進むにつれて、なにかヘンだ。
この「君主論」は、最初から本になっていたのではなく、表題さえなかった。
マキャヴェリがフィレンツェ共和国で失脚した後、隠遁中に書いたもので原本はいまだに発見されていないそうな。
ずっと写本で読まれてきたものが、マキャヴェリの死後、1532年に刊行された。
その解釈・訳は様々で、いずれにしても反論もものすごい。
カトリック教会の禁書目録にも加えられ、焼き捨てられたこともある。
そんな禁断の書。
マキャヴェリ:勝手に本にしておいて、超迷惑。 (勝手に代弁しました)
でも、
「中立なんて、だめだめ」
「平和になったら、次の戦争しなくちゃ」
「君主に仁義や信義なんていらないよ。裏切りバンザイ」
というところだけ読めば、それは当然の成り行きってもんです。
挙句の果て、クロムウェルやムッソリーニらの独断決裁者に支持されちゃったからね。
人気ガタ落ち。
マキャヴェリ:(バタバタバタバタバタ)←悔しくて、棺おけの中で身もだえしている音(勝手に代弁しました)
でも、なにかアヤシイ。
ここで、同じくマキャヴェリ著の「寓話」を読んでみた。
あらすじは、こんな感じ。
地獄にやってきた男性たちが、みんなして、「妻のせいでこうなった!」と閻魔大王に訴える。
そこで、それらの訴えを検証するため、大悪魔が任命されて、人間界で人間のフリして、人間の美人妻を娶る。
これがモーレツな強欲自己チューワガママ妻。
連れてきた家来の悪魔たちも、この妻よりも地獄の炎の方がマシといって、地獄に帰ってしまう。
大悪魔もとうとう逃げ出したが、助けてくれた農夫が約束を破ってしまう。
懲らしめてやろうとした大悪魔のところに、この農夫がかの妻を連れてきたものだから、大悪魔はこらしめるのも放り出して、地獄へ逃げ帰る。
これを読んで、なんだか「君主論」もしっくりきた。
歴代の君主たちと、とりまく人民の性格、軍隊の質、領土や財産の扱い、更に侵略したもののさばき方と近臣との付き合いを緻密に分析・分別してみせる。
でも、そこには、「こうすれば、立派な君主になれますよ♪」という謳いはなく、どうも、人間はみんなダメダメな存在で、君主本人も含めたダメダメさをいかにコントロールし、支配していくかの「裏マニュアル」といった感じだ。
視点は、君主というより、人民なのかも。
副題命名「ダメダメチャート式」 。
この本に生理的嫌悪感を持つとすれば、言葉の部分を切り取って、拡大鏡で解釈してしまうか、理想論を装った冷酷な権力主義に見えてしまうからかも。
実際に、「君主は、中身はともかく、立派なフリしてないとダメ。あとは言ったことを反故にしてもOK」なんて書いてあったりするからね。
しかーし。
そのうち、ルソーやモンテスキュー、ヘーゲルらが君主論を支持するようになる。
ルソーなんて、
「マキャヴェリは、王に助言するとみせかけて、人民に教訓を与えた。君主論は、共和主義者の教科書だ」
とまで賞賛しているらしい。
マキャヴェリ:ルソーくん、ちょっと深読みしすぎ。 (勝手に代弁しました)
とにかく、1つの本で、こんなに解釈が違うなんて、オドロキ。
マキャヴェリ自身は、政治家としても軍人としても失敗も多く、実績を残せなかったそうだけれども、膨大な経験と歴史をデータベースとして持っていたからこそ書けたものなのだろう。
女王蜂が、生まれたときから女王と定められているのと違って、人間は、運命と神様の力を味方につけるべく自己マネジメントをして君主になっていくというのが、いかにもルネサンスらしいけど、現代のあらゆる場面でトップにたつ人々にも伝えられるメッセージとなっているところがすごいね。