症例A

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自分自身が患者に私生活を壊された体験を持つ医師が、前任の医師から引き継いだ患者の病名が「境界性」かどうかと判断しかねる。
そして、衝撃的な症例を目の前にさらされ、医師自身が新たな病名の可能性を受け入れるまでの苦悩。


舞台は、ある精神病院と国立博物館の2本立て。
この関連性のない施設が、病と歴史的事件でつながる。
だけど、事件性を病特有の症状で煽ったり、事件の真相を病に負わせることはしていない。
患者の「病を理解されないつらさ」とか、医師の「見えない原因の追究の難しさ」といった漠然としたものから、もう一歩踏み込んでいて、なにがどうつらいのか、どう難しいのかが伝わってくる。
精神の病が、本人と周囲の人間のみならず、治療をしている医師の生活にまで蔦のようにからみつき、共倒れになることもあるという。
真摯に患者を受け入れようとすればするほど、その可能性が高くなる。


たとえば、人間の脳には、さまざまなフィルター機能があるそうで、周囲からいろんな音が聞こえていても、その中から今聞き取らなくてはならない音を聞き取り、他の音は聞こえていても意識しないでいられるようになっている。
だから、騒々しい街中にいても、一緒にいる人と話も出来る。
だけど、そのフィルター機能が故障してしまうと、会話の途中で、全くの他人が話している内容に反応し、返事をしてしまったりする。


そういった明らかに分かる症状もあるけれど、事実と見分けがつかない中傷をばらまく、相手の自尊心を傷つける、弱みにつけこむなどの自分以外の周囲の人間関係を破壊する行為を症状とする例もある。


多重人格については、「失われた私」なども読んだことがあるけど、また視点が違うかな。