偽装された自画像 〜画家はこうして嘘をつく〜

偽装された自画像――画家はこうして嘘をつく

偽装された自画像――画家はこうして嘘をつく

絵画の中で嘘をつかない画家はいない、と。
嘘とは、ヤラセ、ごまかし、粉飾、美化、誇張に歪曲、そして演出。
意識的に行うそれとは別に、写実主義の画家であっても免れられない嘘もあるらしい。
無意識のうちに、偏見や知識や経験が自らの目を晦まし、筆を誘導する。
この本では、ルネサンス時代から20世紀に書かれた20点の自画像について、どんな嘘が潜んでいるのかを解説する。



自画像といっても、カンバスに自分を大きく描いたものもあれば、宗教的テーマの群衆の中に自画像を紛れ込ませている場合もある。


ミケランジェロは、「最後の審判」で大衆の中に皮だけになった人間を描いていて、これがどうも本人の自画像らしい。
あくまでも説で、解釈も色々。


アンギッソーラの自分と師匠を描いた自画像は、絵を見た瞬間の違和感が解説を読むと腑に落ちる。


ルーベンスの「四人の哲学者」は、X線撮影で絵具の層を透かして見ることで、描き直された履歴とその意味を考察。
これによって、描かれた時にすでに亡くなっていたはずの2名の存在の意味も浮かび上がってくる。


ベラスケスの「ラス・メニーナス」では、画中の鏡や視線によるトリック。


日本の僧侶っぽいゴッホの自画像。


ゴーギャンは、レ・ミゼラブルに自分を模す。


他の画家と違い、目立たぬことを好んだスーラはたった一度だけ描いた自画像を塗りつぶしていたことが赤外線スキャンによって判明。
「化粧する若い女」の絵の中に小さな窓があり、そこから花瓶と花が見える。
ところが赤外線スキャンで、花瓶と花の代わりにスーラの顔があったことが分かったらしい。
著者の分析(憶測)では、スーラの性格から判断して、最初から塗りつぶす気で描いたのかもしれないと。
鏡が描かれている絵の画家が、床屋の両親を持っていた(常に鏡が身近にある環境)など、画家自身の人生もにじみ出る。



自画像に隠された嘘や想いを見つけ出すのは、世紀を超えた画家からの謎かけを解き明かすようなスリル。



注文して描かせる絵の中に、依頼者の姿を描き込むのはよくあったらしい。
教会に寄進する絵には、聖人が寄進者を神やキリストに紹介している設定だったりして、「寄進者さんが天国に行ったら、よろしく」というメッセージが込められている。絵画が神社の絵馬みたいな役割もしていたのかと思うと楽しい。



ルネサンスより前は、キリスト教が大変な力を持っていた時代なので、自画像を描くのは悪いことのような認識だったため、一般的にはあまり描かれなかったらしい。