無の本
- 作者: ジョン・D・バロウ,小野木明恵
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2013/10/24
- メディア: 単行本
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ずっと昔から人々が答えを追い続けている。
数学者だけじゃない。
物理学者、哲学者、神学者、文学者、天文学者に芸術家・・・
パスカル派とアリストテレス派の対抗、デカルトの反論。
アインシュタイン、ダヴィンチも。
古代ギリシャ(紀元前500年)にはすでに10進法があったけど、「ゼロ」を表す記号がなかった。
各地各時代の文明の中での、ゼロ表記の工夫と苦労。
バビロニアのゼロは、数字の「空白」として表面的な位置づけだけど、インドのゼロには、「無」「空虚」などの哲学的概念が潜んでる。
ギリシャでは、
有るものについてのみ語ることができ、無いものについては語ることも思考することもできない
という主張にまで至ったことも。
その後数百年を経て、ゼロは表記だけでなく、概念を持たされ、生命を得たかのように存在を変貌させ、重要性を増していくことになったらしい。
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉
「身の回りにある重要なことがらのなかで、もっとも重要なものは無の存在である」
ゼロと無限の対比もおもしろい。
人間はゼロに対して恐れることはないけど、無限の概念については理解し難い、コワイものとしてとらえる。精神に影響を与えちゃうんだね。
パスカルは「無限の空間の沈黙は、私にとっては恐怖だ」と言っているそうで、他にも哲学者を自殺に追い込みそうなほど、無限の圧力はすごい。
プラトン、サルトル、ヘーゲルが狂気手前まで苦悩してる。
数学者と物理学者の世界観の違いも興味深い。
水の入ったストローの一方の端を指で塞ぐと、開いた端を下に向けても水は落ちない。
塞いだ指を離した途端に水は落ちる。
何もない(見えない)=無なのに、この「力」は?
この作用を正しく説明できるまでに2000年を要した。
芸術にも無や無限の概念は影響を与えてきた。
ギリシャ人が恐れた無限をイスラム文化では賛美し、哲学の厄介ものとして追いやることなく、空虚を埋め尽くしがいのあるものとして受け入れた。
トルコの緻密なモザイクもそれかな。
手の込んだ装飾芸術の原点は無なのかも。
無や起源を考えるにあたり、宗教は神への冒涜や信じてきたものへの矛盾といった壁となった。
アリストテレスの実験も批判を受けたけど、だんだん科学的議論と神学議論は離れていった。
シェイクスピアのリア王、ハムレットも無を語る。
サルトルは無について600ページ以上に及ぶ記述をしたり。
文学者たちは、思想的な真空について追求してきたといえるのかもね。