父は、特攻を命じた兵士だった。

日本の戦争で、特攻隊として出陣した若い兵士の物語を聞いたり、遺していったものを見て胸が痛んだことが、一度はあるのではないでしょうか。
でも、この本は、特攻に出る兵士を名簿から選び、その名前を黒板に書いていた兵士:林 富士夫さんの記録を元に書かれているのだ。
人間爆弾「桜花」に乗る者を選んでいたのは、23歳の隊長だった。
鹿児島県鹿屋市にあった海軍第721航空隊は、「ナナフタイチ」と呼ばれていたが、別称「神雷部隊」。
この部隊は、最初から特攻のために作られた。
大尉であった佐藤さんが、どういう経緯でその役をすることになったか、そして、戦後にどのような苦しみを抱えていたか。
現在の佐藤さんは認知症が始まり、車の免許も息子に取り上げられてしまったが、やっとその苦しみから解かれているのかもと家族は考える。
佐藤さんが細かく記録していた「自殺志願」という文書を形にして残そうと考えたのも、偶然それを見つけた家族なのだそうだ。
そこには家族にも言えない想いが秘められている。



特攻という作戦が、当初、「こんな非人道的なことはだめだ」と認識されていたことに、驚いた。
特攻機が作られたものの、失敗作に試乗して命を落とした兵士。
いよいよ特攻機が完成し、最初に特攻する者を選んだ時には、選ばれずに悔しがった者が多かった。
ふるまわれた豚肉料理を前に、「豚に先を越された」などと軽口をたたいて笑う余裕さえあったのだ。
当時の現場の意外な様子が伝わってくる。
特攻機は、母機にくっつけて敵機近くまで飛び、そして特攻兵は途中で桜花の乗務員席に移る。
そして、モールス信号の合図で母機から切り離され、投下されるのだ。
苦痛を和らげたり、死に際に一緒にいてあげたいという思いで、女学生や母親が作った特攻人形を抱いて。



感動を煽るでもなく、淡々と書かれているけど、細やかかつ鮮やかな記憶が、佐藤さんがどれだけ戦争を忘れずに戦後を過ごしてきたかが分かる。