ダンシング・チャップリン

uiui2011-05-30

バレエを知らなくても、チャップリンを知ってる人なら、楽しめるんじゃないかな。
チャップリンとこの映画に関わる人たちの人生を重ね合わせて、映像という宝箱に封じ込めたようなものだと思う。
チャップリンへのオマージュだけど、決してモノマネではない。


公式サイトはコチラ。


舞踊振付の巨匠ローラン・プティは、自分が気にいったダンサーしか使わない。
そのプティが、ルイジ・ボニーノを主役に抜擢し、チャップリン映画をバレエ作品にアレンジする。
「黄金狂時代」「犬の生活」「モダン・タイムズ」などの映画を1つの作品にしたもの。
チャップリンと知己でもあったプティが作るその舞台は、映画を切り刻んでバレエ化し、オムニバスにしただけではない。
それがバレエ作品「CHARLOT DANSE AVEC NOUS(チャップリンと踊ろう)」(1992年)


さて、周防監督の映画は、このバレエ作品を更に映画化したもの。
チャップリン役は、舞台と同じルイジ。
監督の妻でもあり、バレリーナでもある草刈民代さんが清楚さ・妖艶さ・高貴さを次々と演じ分け、数役をこなす。
すでにバレリーナを超え、女優となっている。


映画化といっても、舞台中継ではない。
映画ならでは利点を生かしながら、でも「なんでもアリ」にはしないという禁欲的な映画となった。
しかも、原作のプティがOKと言わなければ、上映できないのだ。
背景も黒、舞台装置も最小限のもの。
屋外での撮影を1ヶ所だけ監督が新しく取り入れたら、プティは「そんなの入れるなら、やらない」と拒絶。
さて、結果はどうなったでしょうか。
ある意味、映画制作のキモとなるエピソードではないでしょうか。


第1幕は、映画製作の舞台裏ドキュメンタリー。
決して、映画の附属品じゃなくてね。
映画を本質的に受け入れるための大事な素材。
ここをじっくり観ると観ないとでは、ラストの印象が全く違うだろうな。


第2幕がバレエ版チャップリン映画のオムニバス。
音楽もバッハあり、チャップリンありで変化に富む。
そして、とにかくプティの振付が楽しいし、工夫盛りだくさんの撮影なので、セリフがなくても賑やかだ。


現実世界の第1幕と架空世界の第2幕をどうつなげるか、監督をはじめ、スタッフは相当悩んだのだそうだ。
結果としては、「5分間」の時間という幕を使った。
1幕終了後、一旦劇場内に灯りがともり、気持ちが整理されるというからくり。


さて、映像の世界では、舞台と違い、ちょっとのミスも許されない。
だって、映像は永遠に残ってしまうから。
なので、ダンサーたちは完璧を追い求める。
草刈さんをリフトする役の若いダンサーは、どうしてもうまくできず、とうとう役をおろされる。
その「おろし方」が厳しいんだけど、やさしくてね。
そして、おろされた若いダンサーは、彼の代わりに呼び寄せられたリェンツ・チャンの踊りを熱心に見る。
ダンサーでいられるのは、人生のうちのほんのわずかな期間。
だから、彼らはできることを全てやり、最大の美を追い求める。


ルイジは、「チャップリンを演じる」ことはモノマネではなく、エッセンスを取り入れて、自由に踊ることと考える。
彼は、チャップリン映画をじっくり見直して、役作りをするはずのところ、一切映画を見直さなかったそうだ。
怖かったから。


繰り返しになってしまうけど、この映画は、バレリーナを引退した草刈さん。還暦を迎えるルイジ、そして高齢のプティ・・・移ろいゆくすべての才能と美にチャップリンの芸への想いを重ね、映像という宝箱に封じ込めてるという作業に感じるよ。


余談だけど、2004年2月に「ピンク・フロイドバレエ」を観に行った。
この時、草刈さんも出演し、振付はローラン・プティだった。
当時のパンフレットを引っ張り出してみたら、なんと、ルイジもリェンツも作品に関わっていた。
8年経って、偶然また彼らの作品に惹かれていたなんて。