泡盛と海軍司令室〜Spring ハブ(has)噛む(come).(3of3)

そういえば、沖縄で目に触れる苗字は、予想した通り、本土ではあまり聞かないものが多い。
「我那覇」さんは、知り合いにいるけど、那覇で「我那覇」さんって、すごいなと改めて感心してみる。
広島で、「私広島」と名乗っているようなものではないかな?

バスの運転手さんの苗字は「瑞慶覧」さんだった。
なんて、読むの?


苗字といえば表札・玄関。
門構えや屋根の上には、当たり前のようにシーサーがいる。

平民も瓦を使ってよいとされた明治時代以降に、家を建てた際に残った漆喰などで新築祝いと魔よけの意味で作ったのが始まりだそうだ。



石敢當」(いしがんとう)という人の表札が多く、しかも妙な位置に置くなあと思っていたら、これは表札じゃなくて魔よけのお守りだった。
ゲームセンターの出入り口にも置いてあるのだ。





次は、泡盛の老舗「瑞穂酒造」へ。
泡盛は、床下にある穴(タイル張りで縦長の浴槽みたい)で眠っている。
へええ。

人が歩いたり、雨が降る時の振動で味がまろやかになるんだって。
案内してくれた楽しいスタッフさんに、ここで溺れたいという人もいるでしょうねと言ったら、私も入りたいと言ったんですが、死ぬよと止められました、と。
お酒を全部抜いた穴でも、酸素が薄いから危険だそうで。



泡盛を甕で買って、酒造で預かってもらうシステムもあるそうだ。
蒸発分を継ぎ足す作業もしてくれて、祝いの席で飲む時などに送ってもらうのだ。
年を経ると、熟成が進み、まろやかになっていくので、その変化を楽しむこともできる。
画像は、預かっている甕だとか。

あれこれ試飲させてくれる。10年ものの古酒も!

私は、娘と同じ名前の泡盛を見つけたので小瓶を購入。
彼女が二十歳になったら、開封して飲もうと思う。





ホロホロ気分で移動する先は、旧海軍司令部壕
太平洋戦争で最前線となった沖縄で、重要なポイントであった小禄飛行場を守るためにできた最高軍事機密基地。
全長450mの迷路のような穴は、全てつるはしなどの人力で掘ったとのこと。

この先が、

司令官たち6名が自決した司令官室。
壁に大田司令官の「大君の御はたのもとに・・・」の墨書が残っている。

幕僚室には、同じく自決に使った手榴弾の跡が今でも残っている。
他に下士官室、暗号室、医療室、発電室など。
壕内には4,000人もの兵が集まっており、立ったまま睡眠をとっていたとか。

暗号室からの自決直前の電文は、「これが最後の電文となる」という内容のもので、沖縄県民への想いが詰まっていて切ない。
戦後には、ここから司令官たちを含む2,300名以上の遺骨が収集されたそうだ。





いよいよ、沖縄と別れる時間が近づく。
やちむん通り をてくてく。
萩のように焼物屋がひしめいているわけではないけれど、店ごとにかなり個性の異なったシーサーや器が並んでいる。


牧志公設市場
ここは、沖縄独特の物産がギュウギュウ詰まった市場だ。
観光客用というわけではないけど、観光客慣れしている。
漬物屋はカラフル。

魚屋には、東京では見られない青や黄色の魚にハリセンボン。イカや貝が巨大。
魚はその場で刺身にしてくれ、しかも奥のスペースですぐに食べることができる。

海ぶどうが水槽にいっぱい。

2階は食堂になっていて、いくつもの沖縄料理屋がオープンスペースに並んでいる。
客引きが多くて、じっくり店を選べないなあ。

琉球料理定食は、ラフティ・ソーキ盛り合わせ・アーサ汁・ミミガー・もずく・スクガラス豆腐・パパイヤキムチ・ご飯で1,500円。


お土産はこんな感じ。
ほとんどスーパーで買ったものだなあ。

八百屋で買った島らっきょうは、天ぷらにした。
さとうきびは、娘たちにかじらせてみた。茎の繊維を噛みほぐすと、ポカリスエットのような甘さがじわっと出てくるんだよね。





旅が終わる時、さっきまで楽しかった場所が急によそよそしくなって、自分の居場所ではないことを痛感してしまう。
まあ、それでもまた懲りずに旅に出るのだけれども。




ところで、泳いでもいないのに、この首回りの日焼けは一体?




はっ!!!



バスでうたた寝した時だ!!(T T)




旅が終わって数日後、瑞穂酒造のwebサイトである募集をしていたので応募したら、賞品が届いた。
瑞穂酒造特製三線ストラップ。裏には、ちゃんと蛇皮が施してある。
天龍蔵を案内してくれたスタッフのC念さん、サイトの募集を教えてくださって、ありがとうございます。



(おわり)


*長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。