同潤会 大塚女子アパートメントハウスが語る

同潤会大塚女子アパートメントハウスが語る

同潤会大塚女子アパートメントハウスが語る

まだ木造建築がメインだった頃、同潤会の鉄筋コンクリートアパートは、関東大震災時に外国からの義援金を元に建てられた。
単なる集合住宅ではない。
ことに、「同潤会 大塚女子アパートメントハウス」は、婦人参政権もない、女性の地位が低かった時代に、日本初の職業婦人専用の集合住宅として造られたのだそうだ。
それまでの固定観念や家庭に縛られていた女性たちが、自立を実現できる拠点。
実際に入居していた人たちの回想録から、この本は始まる。




入居条件は、なかなか厳しいものだったそうだ。
単身であること。
年収50円以上。(当時、一流企業でなければ、男性会社員もこれに及ばなかった)
保証人2名。
男子禁制で、たとえ父親といえども個室には入れず、応接室での面会となった。
それでも、電気・都市ガス・水道・ダストシュート・水洗トイレといった最新の近代設備があり、食堂・共同浴場・応接室・売店・洗濯場・音楽室・日光浴室という空間としても先進的な施設が用意されていたため、羨望の的。
門限を過ぎたら、しっかり施錠されるというセキュリティの高さもある。
150戸の部屋の抽選倍率は大変なものだったらしい。




同潤会の本はたくさん出ているそうだけど、この本は、建物としての評価というよりも、そこにあった独特の空間・コミュニティの絶妙なバランスという三次元的な魅力を紹介する。
個室でありながら、共有部分があり、一人で住んでいるけれど、「独りぼっち」にならない。
調味料の貸し借りがある一方で、人を避けたい時は避けられる。
エリート職業婦人である居住者たちの自治はしっかりしていたようだ。
もめごとを解決するフローもあったみたい。




時代を経て、食堂が廃止になったり、浴室が使用できなくなったり、ワイヤーが切れたエレベーターが放置されたままになった。
管理が東京都の公団に移ると、居住者も、低所得者や高齢者へ移り変わっていった。
アパートメントを保存しようとする活動もあったようだけれど、日本の建築物の保存基準に合わなかったため、2000年以降次々と取り壊された。
外からは覗けない建物構造、高いセキュリティ、そして自主性の強い自治により、外部にその生活や内部の様子をあまり知られることがなく、きちんと報告される機会も少なかったことが災いして、「保存価値」を理解してもらえなかったようだ。






「女性と住まい」という社会史の証人であること。
「熟したコミュニティと空間」の見本であること。




そういった三次元的価値を本で紹介する。