文句を言う仕事とインドの児童労働

先日、つい通りがかりのケーキ屋さんでフルーツタルト1ホールを買ってしまった。


自転車だから、気をつけて、気をつけて、気をつけて。






うわーん。
自転車こいでる時、不気味にフルーツの良い香りが漂ってきたと思ったら、やっぱりこういうことだったのか!
山盛りフルーツだったので、元通りに乗せようにもうまくいかない。
乗りきらないフルーツは、









お口に入れた(うふふ)














上司は、率いる部署のため、上層部や他部署にも咬みつくことがある。



上司は言う。





「文句を言うのが仕事」みたいなところがあるからね。
でも、








かみさんに性格が悪くなったと言われるんだ。






お気の毒です。










色々な携帯機能が出尽くしたのか。
携帯の形態にこだわるように?




ヒト型ケータイ開発中。




写真を見ると、膝から下がない彫像っぽい姿。腕は横に広げている。
顔がリアルに人間っぽい。
ウレタンゲルという素材なので、肌も人間っぽいとか。
でも、性別年齢不詳系。
今のところ、通話機能だけで、唇や頭、両手が動くように開発中だそうだ。
この携帯は、耳にあてずに手に持って通話するんだって。
プッシュボタンはないのかな?通話先は声で指示して呼び出すらしい。
「妖精(エルフ)」のようなイメージらしく、その名も「エルフォイド」。
これをポケットやカバンから取り出して、通話してる人が街に溢れていたら、ちょっと異様な気もするけど。
商品化なるか?










「私の中のこども 〜アートで学ぶ児童労働〜」
というワークショップに3号と一緒に参加してみた。
3号は、以前、学校で見たストリートチルドレンの映像に衝撃を受けていたので誘ってみたのだ。
主催は「Bornfree Art Tokyo」というインドの児童労働の問題に取り組む市民やアーティストの有志団体。
インドの最下層身分の子どもたちは、学校にも行かせてもらえずに、親などの大人たちに強制的に働かされているのだそうだ。
貧困が教育を受けられない状況を生み、教育を受けていない子は職を選べず、貧困に陥るという悪循環だ。
世界中には、把握されているだけでも、日本人口と同数くらいの児童労働者がおり、その半分がインドのこどもたちという統計がある。
1日のほとんどを教育を受けずに労働で費やす子どもたちには、もちろん労働の目的意識も労働の還元もない。
つまり、「夢」だの「将来」だの「自己表現」って何?という状況。
識字率どころか、言葉もちゃんと話せない子どももいるそうだ。
この団体は、インドにフリースクールを作り、絵画や音楽、ダンスなどのアートというツールで自分の想いを表現することを教える。
そういった中で、子どもたちは自分の意思で生きることを知り、「可能性」や「夢」を持てるようになっていっているとのこと。
そんなわけで、ワークショップでも、参加者が自分の子どもの頃のイメージを絵にしてみたり、巨大な紙にみんなで絵を描いたり。



問題も多い。
まずは、親を説得して、フリースクールに来ることを認めてもらわなくちゃいけない。
どうして、わざわざ他国がそんなことをしてあげるのか?インドでは問題になっていないのか?という質問があった。
カースト制度は法律上はすでに無効だけど、今でも生き続けているそうで、しかも政府は「進歩」「前進」しか見ていないので、「遅れ」ている部分には目を向けず、インド国民でさえもどうしようもないのだとか。
国の財政は、軍事費に多くが費やされ、教育費などは削られてしまい、よって「貧困層が高い教育費を払えない」「人件費の安い子どもの労働に頼る」状況になっているそうだ。



「じゃあ、子どもたちの支援をすればよい!」とは簡単にいかないと、実は私は思っている。
還元を期待しない強制労働に支えられている国力であるなら、児童労働をなくすことは国の造り自体を根底から変えることになるので、相当根深い次元の改革になるから。
それに、国民みんなが自分を主張し始め、面倒なことは他人任せにしておきながら、文句ばかり。批判ばかり。揚げ足ばかり・・・そんな今の日本みたいになることが本当のしあわせだとは思わないし、国力強化にはならないように感じるので、インドの良いところ(目上の人を敬う、勤勉、物を大事にするなど)をしっかり維持しつつ、新しい人材エネルギーの発掘となるといいなあ。
なにより、この団体の良いところは、「大人が子ども救う」というより、「子どもが自分の力で動く」ことを促すこと。
夏には、このフリースクールで学ぶインドの子どもたちが日本にやってきて、交流キャンプをやるらしい。
日本の子どもも良い刺激を受けられるといいね。