禁じられた死体の世界


禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの

禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの

別に夏向けの、背筋寒い系の本ではありません。





ええっ!!
こんな写真を掲載して、いいの?


と、この本を手にした図書館で、声を出しそうになった。



大学病院などに献体されたご遺体の解剖途中の写真。
切ったり剥いたり開いたりされた体の部分。


なので、進んで人に勧めようとは思わない本ではある。
でも、著者はインモラルな趣味を持った人ではない。
東京芸大大学院修了後、東大医学部助手(養老猛司研究室)として研究生活を送った人だ。
退官後、評論活動を始め、その中でこういった「死体って、ほんとに自然なものだ。タブー視するなんて、おかしい」というメッセージを主題とした本も書かれているようだ。
芸大では、美学を専攻していたため、死体も医学視線というよりも美学的に観察する。
モラルや人間観という観点と医学の観点からの疑問や感想を率直に書いているので、とても人間らしい感じがする。
「死体」「ご遺体」「亡くなった彼(彼女)」という言葉の使い分けから、死んだ人間の存在が変わってしまうことについて触れていたり。
実際は、「ライヘ」と呼んでいるそうだけど。
うっかり帰宅の電車の中で同僚と「死体の処理に困っちゃってさー」なんて口走ったら、車内で視線を集めること間違いないから、業界用語の方が確かに賢明だよね。





著者いわく、「死体はこわくない」。
エレベーターで解剖用の死体と二人?きりになっても、こわくない。
解剖の後、焼き肉食べるのも平気だし、刺身もOK。
でも、怖いと感じてしまうこともある。
それは、どんな時か。
映画などで自分の中に作られてしまった先入観が怖いのであって、死体自体はこわいものではない、と気づけば恐怖から解放されるのだそうだ。




知られざる解剖の常識は、へええの連続だ。
ご遺体は、どう保存処理・保管がされているか。
解剖学室に生える黒いカビの話。
以前の死体の安置方法には、ちょっと胃がムカムカする描写もある。
アルコールの満たされた小さいプールのようなところに無造作に入れていたらしく、その状況はちょっと・・・
プールを清掃しようと、業者に見積もりをお願いしても断られる始末で、研究室の者が体をはって?お掃除するのだ。うえー。
解剖には3種類あって、病理解剖・検死解剖、そして研究のための解剖だ。
病理解剖は、病気の原因をつきとめるものだし、検死解剖は、事件事故で亡くなった人の死因を調べるためのものだから、必要な個所しか解剖しない。
絞殺された死体の死因を確認する解剖で、せっかくだから、ついでに脚の神経構造も見てみましょうなどということはありえない。
だから、この2つの解剖は比較的短時間で終わるのだそうだ。
ところが、研究のための解剖は、学生たちのために保管されていたご遺体を数カ月かけて分解していくという。
その時の工夫。
実は、私は献体登録をしているので、ここに書かれている遺体は、私自身なのだ。自分の体がどんな風に扱われるのかはちょっと興味があったりする。
なるほど、理科の授業のカエルやフナの解剖みたいに数分間刻んでポイッというわけじゃないんだねえ。
解剖が終わった後の火葬や遺体の返却の苦労についても書いている。
数か月前から火葬場の予約をするなんて、解剖学教室くらいのものだろうね。




海外の死体公開状況も伝えている。
シカゴ科学産業博物館には、薄くスライスした人間や臓器が展示されているそうだ。
ヨーロッパの街によくある教会の地下墓地(カタコンベ)も公開されているらしい。
ちゃんと服を着て、生前のような状況で通路の両側の壁に立っているかのように張り付けられているとのこと。
火山の噴火で瞬時に熱い灰に埋め尽くされたポンペイの遺跡には、もがく人の遺体が残っている。
ミイラについても述べている。
そういった写真も掲載されている。



うーん。
勧めたいけど、勧めにくい本。