鍵がやってきた。そして、ハンセン。

uiui2009-12-11







札幌出張のお土産をいただいた。
ポテト系が2種で、 
「いも子とこぶ太郎」。
あっさりめのポテチとおつまみこんぶが小袋にはいってる。



そして、 「じゃがぽっくる」。
同僚に「もうフツーのポテチなんて食べられない」とまで言わしめた。
あまりギトギト油な感じがしなくてね。
上司もお気に入り。


どうやら北海道でなくても、売ってるみたいです。
人気があるんだね、きっと。



職場の契約課に行ったら、FC東京サポのTさんが近づいてきて、手渡してくれた。
あ、これ、以前フットサルに行った時にももらったっけ。
「勝ちの種」。

お受験シーズンにもウケそうね。
中身はフツーの柿の種とピーナツ。
それにしても最終節のFC東京新潟アルビレックスの試合を新潟まで観にいったらしい。
先日は、静岡まで行ってたし。
夫婦で同じチームのサポというのはいいねえ。




そして、そして、京都に行ってきたという友人から、伏見稲荷の御守り
「鍵」の形をしているの。(トップ画像)
大神様の御神徳を鍵で表して、万福招来開運を祈念したものらしい。
試練を受けて先に進む中で、時に自分の手持ちの鍵だけでは開かないドアが出現することがある。その時に役に立ってくれる鍵なのだそうだ。
この友人が贈ってくれたときの言葉がおもしろい。
彼女は、何かを始めようとしていると感じる人にこの御守りを渡そうと思っていたのだそうで。
とてもとてもうれしいことに、私に贈ろうと思いついてくれたのだそうだ。
そして、ほんとにほんとにうれしいことに、私はそういう鍵を必要としています。
あぁ、開けたい扉は、100枚くらいあるのだが。



実は私も、「どなたかに」と思って、買っておいたものがある。
うん。彼女にもらっていただこう。
彼女からの「鍵」に比べたら、まったくもってちっぽけなものなんだけどね。


素直に弱音も吐ける・・・そんな強さ。
たくさんの繊細さを束ねて太くなっている・・・そんな強さを持った彼女に感謝です。
ありがとね。
この鍵をつけておく場所は決めたから。





話はかわって。
先日、娘1号が授業で知った「ハンセン病」の資料館(東村山市)に行きたいということでお供することになった。

多磨全生園という広い敷地は、以前は「らい病」という差別を含めた呼び名の病に罹った人々を隔離するための居住区で(現在もある)、国立ハンセン病資料館はその隣にある。
蝋人形や様々な展示品もある充実した内容だ。
菌による病気とはいえ、実は感染力はとても低くて隔離の必要はないのに、薬も治療法が確立してからも隔離政策が継続された。
その病状の恐ろしさゆえに、患者は生きているうちに社会から葬り去られたのだ。
警察や密告者の働きで、隠れていた患者はこの居住区へ送り込まれてしまう。
ナチスガス室みたいだね。
ハンセン病が「前世で悪い行いをした者が罹る」と宗教的にも忌み嫌われたことが差別を大きく助長したらしい。
なので、罹るとお遍路に出て、神様に回復を祈っていたのも珍しくなかったとのこと。
お遍路に出る母娘。



<症状>

・知覚麻痺、運動麻痺
・できものがたくさん発生し、臭いの強い汁が出る。→包帯でぐるぐる巻きにされる
・筋肉が萎縮し、身体や顔の各部分の形が崩れる。
・恐ろしいほどの痛みの神経痛
・眼も病み、失明する。
・発汗障害で汗が出なくなり、夏は特に暑さに耐えられない




<全生園での生活>

・感染を防ぐという名目で、患者の世話や治療補助、そして居住区の作業は、患者同士でやらされる。洗濯・掃除といった日常的なことだけでなく、工事や畑仕事などの重労働も多く、病状は更に悪くなる。亡くなった患者の火葬もやらされる。
・暖房がないので、冬は室温が零下になる部屋での寝食。
・脱走を試みると、監房へ入れられる。
・子どもの患者のために学校もあるが、先生はやはり患者。
・男性部屋と女性部屋に分かれ、一部屋に8名が押し込められるので、気が休まる場所がない
・患者同士が夫婦の場合は、夜に夫が妻の部屋に行くことが許される。
もちろん、妻も大部屋にいるのでプライバシーはなく、隣に眠る人との間にテーブルを立てて置いたりしていた。夫婦もつらいけど、同室の未婚の女性も精神的苦痛を味わった。
・女性は、子育てにはお金がかかるからという理由で中絶・避妊手術をさせられる。
・完治した人は、家族や社会と断絶させられたため、施設を出ても行くところや生活するところがない。差別への恐怖も払拭できない。



あまりの痛みに、腕や足を切り落としたいと思うほどだそうだが、病状が進むと、病が他の部分に広がるのを防ぐために、本当に切り落とされていたらしい。
歪んだ顔を見たくないから鏡を避けていたが、そのうち失明してしまった。
「希望を持て」という励ましには、怒りを覚えるほどの絶望感を訴える。




この資料館(入場無料)では、病のむごさというよりは、取り返しのつかない長期の差別的隔離の実態と歴史を証明する。
この施設の中でも、だんだん人間としての尊厳を訴えるようになり、治療や世話をする人が送り込まれるようなって、また患者さんたちも芸術活動などに打ち込むことで生きる意味を見出すようになっていくのだ。
また、完治してから、社会に戻ってからの生活ができるように職業訓練やリハビリを行う。(施設を出て、就学・就職する際、まだ差別が生きていた時は、なんとかして病の経歴を隠そうとするので大変だったそうだ)


そして、とうとう患者さんや家族が国を相手取った裁判で勝訴し、それに対して控訴をしないことを決めたのは、小泉首相だった。
ほんの最近のことなんだよ。