This Is It

友人たちの評価を聞いて、これは観なくちゃ、と。
調べたら上映期間が短くて、あと数日だと知り、21:30上映を慌てて予約。


友人たちの感想は、ちっとも大げさではなかった。
CDをちょっと聴いて、マイケル・ジャクソンっていいなあと思っていたとは、なんてもったいないことをしたのだろう。



怒っているんじゃないんだよ。愛なんだ。




マイケルが、スタッフにリクエストを出す時に言っていた言葉。
こんな謙虚な人なんだ?
もっと宇宙人的で孤独な人なのかと思っていた。
よくマスコミで見かける彼の変人ぶりの報道を思い起こすと、マイケル・ジャクソンは、音楽の神様に魂を売ってしまったから、「人間」として少し偏ってしまったのかもしれないと思ってしまう。



彼は、ただの踊るヴォーカリストではなく、プロデューサーであり、美術監督であり、総監督であり・・・自分の曲の全ての音、コードを把握しており、細やかなイメージを注文する。
そして、最も重要な役割は、ライヴに関わる全ての人たちへのエネルギー配給者であること。



世界中から集まったダンサーたちは、マイケルを含めた審査員によるオーディションに合格し、最高の創作に参加する権利を手に入れたのだけど、彼らは子どもの頃から、マイケルに憧れて育ち、この機会を「夢」と呼ぶ者たちだ。
リハでもキラキラ系の服を着て、「本番へ向けてのウォーミング・アップだから、抑え気味に歌う」とマイケルは言うけれど、傍で聴いているスタッフたちは、もう観客のように興奮している。




目指すライヴは、恐ろしいほどエネルギッシュかつ緻密。
技術的に超一流な者たちが集まっているのは、もちろんだけれど、ただの職人の集まりではなくて、全員がマイケルの一部となって、その想いを実現するための集中力の高さがすさまじい。
ダンサーたちだけじゃなくてね。
金髪のかっこいい女性ギタリスト。
舞台には立たないダンス指導の女性、舞台装置の安全を確認するためのアクロバット役者。
演劇でもここまでやらないのではと思うようなセットは、ダイナミックな上に、映画製作のような手間のかかるものまで取り込まれている。
創ることに関して「完璧主義」なんだな。



マイケル・ジャクソンがもっと!もっと!と挑戦していく気持ちが伝わってくる。
だから、リハなのに、観ていると、もっと!もっと!と思う。
もっと、観たい!もっと聞きたい!!
もっと、もっと、もっと。
この先にある完成品を、観客もスタッフも永遠に体験できないという不幸が、今更ながらよくわかった。
特に、出演者とスタッフたちの時間をぶっつりと分断したマイケルの死は、神様の嫉妬としか思えない。



映画が終わると、マイケル・ジャクソンの大きくて強いメッセージを受け止めて、観客たちは拍手をしていた。
映画なのに。