ソウル-ベルリン 玉突き書簡 境界線上の対話

在日朝鮮人二世の徐京植(ソキョンスク)は京都で生まれた作家。
ディアスポラとして、国家・歴史・社会・文化・芸術を描く。
国外研究のため韓国に滞在。


多和田葉子は、ドイツ語も操り、作品を発表している東京生まれ。
ベルリン在住。


どちらも国を隔てる境界線を自分の住まう土地のにおいて経験しているわけで、その「線」が地割れのようになって滲み出させている独特の文化や感性をビリヤードの玉のように、言葉というキューでやりとりしている。
往復書簡の形のコラボレーション。



単なる海外に住まう外国人としてのカルチャーショックではなく、「故郷がない」「帰るべき場所がない」感覚を織り交ぜて、様々なテーマを浮上させていく。
例えば、名前。
在日朝鮮人の徐さんは、日本名を持っていた。
また、それまでと違う国籍とった時に、その国に合った名前に改名するため、自分につける名前の付け方のエピソードは、特に「本籍」のシステムがある日本人にとっては違和感があるかも。
ディアスボラ(離散者)にとっての名前の価値とは。




また、多和田さんが「ヨーコ」と呼ばれた時の「葉」のニュアンスが消える感覚もおもしろいね。




そういえば、Johnという英語の名前も違う国に行けば、「ヨハネ」になったりするんだよね。
同じ意味の名前でも、表記と音で、全く違うニュアンスになってしまう。
それを常に体験しながら、国々を移動している人にとっての「名前」の意味・・・。




また、「親戚だ」ということでインタビューしたら、結局なんの血のつながりもない人だったというエピソードはおもしろかったな。
名前が同じなら、どこかでつながっている可能性が高いから「叔父です」「いとこです」って、言ってしまうんだって。
ウソついてる感覚はナシ。



それから、映画などの吹き替えで感じるもの。
日本人なら英語が日本語に吹きかえられていても違和感がないけれど、他国の母国語に日本語が吹きかえられているのを見聞きした時の何が本物か分からなくなるような感覚。




手術するのは、「心臓」。
愛情が宿るのは、「心」。
焼き鳥屋で食べるのは、「ハツ」。


だけど、焼き鳥の「ハツ」の語源は、「ハーツ」Heartsなんだって。
うわ、知らなかったよ。




ディアスポラたちのそんな言葉や感覚の玉突きを楽しめる。