ピクチャレスク「山本有三記念館」

uiui2008-12-30


いつでも行ける場所なので、つい行かずにいた。
JR三鷹駅から徒歩12分ほどのところ。
  

作家の山本有三昭和11年から、進駐軍に接収される昭和21年まで、家族と住んだ家。
あの「路傍の石」もここで書かれた。
受付の方に聞いたら、写真撮影は個人用ならOKとのことで、撮りまくってしまった。



「ピクチャレスク」とは、「絵のような」という意味で、庭園や建築では、非対称性・異国情緒、そして自然の取り込みという特徴を指すらしい。
この邸宅は、大正末期に建てられて、近代の色々な建築様式を見事に調和させている。
漆喰と木の線材によるコントラストが美しい外壁、スクラッチタイル、意匠が異なる3つの暖炉。
ほんとに絵のよう。



アメリ進駐軍は、このような洋館を軍に提供するよう要請し、その指令を受けると居住していた者は、数日で退去しなくてはならなかったそうだ。
その時の提供要請の文書なども展示されていた。



山本有三は、建築に大変思い入れのある人だったようで、随所にこだわりが感じられる。
敷地は大きな樹が茂っている広いもので、建物はどっしりと安定感のある風貌。
3つある暖炉のための煙突は、上に行くほど細くなっていて、高さを強調しているそうだ。
当時の応接間は、6〜7畳ほどの部屋に応接セットを押し込むケースが多かったそうだけど、この邸宅ではマントルピースの隣に余裕をもって、優雅なセットが置かれている。
食事会で先に下がった女性達が、きっといつまでもおしゃべりと楽しんだことだろう。
                   



ただ1つの和室は、数奇屋風書院造りで、有三の使っていたメガネやキセルなどが置かれている。
小襖には、作品を演じた尾上菊五郎が鎧の下に着ていた衣装を貼り付けている。





子供部屋としていたらしいサンルームがとても素敵。
テラスとのつながり方も、半分屋外のような開放感のある間となっている。

テラス側から見た邸宅(パンフレットより)

あっという間に見終わると思っていたら、かなりの見ごたえ。


  





洋館って、好きだなあ。




この邸宅を接収された後には、湯河原の家へ移るのだけど、こちらは屋根や門の造りを、有三本人が図面を描いて依頼するほどの懲りようである。
「理想郷」と言われるほど。
執筆中は、家族の声が気にならないようにと、階段にシャッターまでつけている。
本当に住む者のワガママに沿った家なのだ。
あぁ、うらやましい。




さて、サイトにご訪問くださって、ありがとうございます。
ささやかな私の足あとにすぎませんが、コメントをくださった方々、見守ってくださる方々に感謝しております。
来年もボチボチと歩みを止めずにいこうと思っています。
皆様もどうぞよいお年をお迎えください。