再会

uiui2008-11-17


再会が多かった週末。


私が卒業した高校は、130年の歴史があるにもかかわらず、縦のつながりが強い。
毎年、全学年対象の同窓会がリーガロイヤルホテルの会場を貸し切りで開催される。
ただの飲み会ではなく、人生の大先輩方の錚々たる顔ぶれと共に、様々な式次第が粛々と進められるのだ。
普段、ほとんど会う機会のない卒業生同士が、それぞれの思いを持ちあって、今の自分を見せ、仲間の姿を受け止める。





「お手元の資料の8ページをご覧ください」





・・・読めねーよ。







どこからか聞こえてきたつぶやきは、ローガンというエイジングによる作用らしい。
そんなこともあろう。







私が飲もうとしたビールに、気がつくと、牡蠣フライのタルタルソースを落とされていた。







・・・・そんなこともあろう。






山口県に足を延ばすことになり、新幹線に乗ろうとしたら、丸顔くんに久しぶりに会った。





瑠璃光寺五重塔に会った。
小学校の修学旅行以来の再会。
こんなにすごいヤツだったなんて、全く知らなかった。
名前に似合わず、まだ生き続けている古い大木のような色をしていて、ともすればとても不安定なポーズに見える立ち姿は、バスト・ウエスト・ヒップのようなくびれによって美しさに変えられている。
どうやって造ったのか、じっくり見据えても、想像がつかない。
こんなにすごいヤツだったなんて、ほんとに知らなかった。
瑠璃光寺は、1400年代からそこにいたのに、私の目が少しだけ見えるようになって、やっとそれに気付いたの。





中原中也記念館。

これは、再会ではないのだけれど、あの感性。
どこかでお会いしませんでしたか?
人恋しくて恋しくて、それなのに人と関わることが上手くない。
日本のランボーとも言われる詩人は、30歳で故郷の山口・湯田温泉に帰ることもできずに鎌倉で亡くなる。






「豆子郎」は「もみじ饅頭」とは違って、登録商標なんだって。
「まめごろう」じゃないよ。「とうしろう」。

小豆がはいった外郎はたくさんあれど、「豆子郎」は1つだけ。
山口県の隣の広島でも売っているところは少ない。

豆子郎はね、わらび粉とさらし餡を使った生地に小豆をちりばめたモチモチしたお菓子。
創業者の田原美介さんが、「素人」の自分が作り上げた・・・初心無垢の心を忘れないようにしようと、「しろうと」の意味と豆をお菓子の名前に込めたのだそうだ。
山口県に入ったとたん、いたるところで豆四郎や外郎に出会う。
君たち、なかなか会えないと思っていたけど、ここにいたんだね。
  これらは、外郎
外郎・蕎麦外郎・黒外郎(黒砂糖)・・・
次々と外郎の来襲を受けることとなる長州路。
私の名前に似ていて、子供の頃からかわれたから嫌いになろうとしたけれど、やっぱり好きだよー。




明治時代に生まれた山口の表座敷「菜香亭」。
県出身の総理たち、保守・革新の政治家たち・県内外の財界人たちが親しんだ。建物自体が歴史の始まりと動きを見て聞いて吸ってきた風格を備える。
100畳の広間に、佐藤栄作元首相や田中角栄元首相たちの魂の片鱗が「書」という形で、色を失わずに佇んでいた。
パンフレットより。
  






献体を希望しているので、母に承認者として名を連ねてもらった。
献体のことを何人かに話したら、99%の人に肯定的でない意見をもらった。
でもね、献体希望者は年々増えていて、今じゃご遺体が余ってるところもあるんだよ。
私は死んでから、お役に立てるまで何年待たされるのかなあ。
まぁ、いいけど。