捨てる事ができないメール

アルゼンチンに随分年上の友人がおりました。



実は、過去形にしてよいのかどうか、今でも分かりません。



日本人なのですが、アルゼンチンのコルドバ在住で、交流といっても時々メールのやりとりをしたり、帰国した時に食事をする程度。
メールは、私のスペイン語の勉強のためにと、ローマ字や日本語の混じったスペイン語で書いてくれました。
帰国すると、日本では購入が難しいフォルクローレのCDを買ってきてくれたりもしました。
是非、アルゼンチンを訪れてほしいと言ってくれていたのですが、子どもも小さかったし、まだまだ私はそのようなタイミングではありませんでした。





交流といっても、そんなにマメなものではなくて、時折エル・ニーニョ現象のように温まり、近況を伝え合うという感じでした。






2004年の10月に、随分久しぶりに私は「Donde estas?」(今、どこにいますか?)というメールを送りました。
その人は、コルドバにいることもあれば、他国にいる可能性もあったからです。
すぐにきた返信にはスペイン語で、近いうちに帰国すること、病気で手術を受けること、
きっと元気になるのでまた会いましょうという内容が書かれていました。
日本での住所も知ってはいるのですが、知り合いになったきっかけが偶発的なものだったので、ご家族に不審がられてご迷惑をかけてはと思い、連絡できませんでした。
メールには、KEIO-BYOINとローマ字で病院名も書かれていたので、ひょっとすると、お見舞いに行くべきだったのかもしれません。






さて、ずっと時間が経って、メールをしてみましたが、エラーで返ってきてしまいました。
それ以来、その友人とは音信不通です。







「また会いましょう」のメールをいまだに捨てられずに残しています。







困るなぁ。
ほんとに困る。






人との出会い方が様々になってきて、オンライン上だけの「知り合い」も少なくない昨今です。
本名は知らず、住所も知らず、電話番号も知らないこともあったりして。
人とのつながり方も複雑になってきて、「深さ」とか「濃さ」も単なる思い込みになる可能性もあります。
ただただ広くなっていくつながりの中ではありますが、大事な存在たちにはちゃんと自分を発信して、跳ね返ってきたものでまた自分を確認して・・・そういった作業を続けていきたいです。





2004年のこのメールも、もうしばらくとっておこうと思います。







さてさて、暑い日々ではありますが、家の中にこういう姿をしている人がいると、


 ←冷えひえマスク





ちょっぴりイヤです。