[ただの日記」短足ではない。そして本:ペンギンの憂鬱

ある番組でもやっていたらしい。


ペンギンは、卵形の体に短い足がチョンとついていて、歩く姿はヨチヨチ歩きの赤ちゃんみたいでかわいい♪




しかーし。




あの丸い体の中には、こんな10頭身的な骨格がっ!!!



これは、ほんとか? ウソか?







正解は・・・・・









ウソ。
着ぐるみじゃあるまいし。






ほんとはこうなっている。



横から見ると、こう。



高校のバドミントン部がトレーニングとしてよくやっていた「空気イス」状態。
骨の長さという点では、足は長いね。






さてさて、最近読んだ本。

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

売れない小説家は、ある新聞社から、仕事をもらった。
まだ存命の人物の「死亡記事」を書くというもの。
そして、その記事を書き終えてしばらくすると、本当にその人物が・・・


成り行きで、若い女性と女の子とペンギンが一緒に住むことになった。
ペンギンは動物園で飼えなくなったのを小説家が貰い受けてきたのだ。
愛嬌を振りまき、家には笑いが絶えない・・・・



のではなく、ペンギンのミーシャはとても憂鬱なのだ。
いつも緑のソファのお気に入りの場所に、寂しそうな目をして佇んでいる。
または、隙間風が入ってくる涼しい入口付近にいたりする。
浴槽でパチャパチャしてみたり、エサの淡水魚を無視したりもするけれど(ペンギンは海に住んでいるので)、行動は穏やかそのもので、エサをくれる小説家に媚を売ることさえしない。
時々、エサをやり忘れた小説家の枕元に立って、起きるのを待っていたり、座っている小説家の膝に胸をもたれかけてくるくらい。


だけど、擬似家族は確立している。
だれも本物の家庭だなんて思っていないのに、父・母・娘・ペットというシアワセな構図を共有している。


死亡記事を書き始めてから感じる危険が、すぐそこに迫っているのを感じるのに、その正体が不明という不気味な日々。
ある日、立ちっぱなしのはずのミーシャが横になっている。
病気だ。
なんとか診察してもらうと、心臓病であることが分かる。
しかも、移植手術が必要だと。



手術は、小説家がミーシャを入院させている間に、見えない組織の力によって滞りなく終わった。
即死した人間の男の子の心臓を移植したのだとか。



ミーシャの病気から、だんだん実態がつかめなかった恐怖が明らかになっていく。
ジム・キャリー主演の映画「トゥルーマン・ショー」のような空気も漂う。
場面描写や流れは、村上春樹の小説を思い出させる。
ソビエト時代のロシアを痛烈に風刺した小説とも言われているみたい。


約20カ国で翻訳されたベストセラーなんだけど、著者はこの本が出るまで、作家としてはなかなか日の目を見なかったらしい。
この本の主人公と著者を同一だと思ったインタビュアーが、「ペンギンと一緒に写真を撮らせてください」と言ってきたこともあるんだって。