ナベを知らない

uiui2007-11-03


今日は、サイアクー。
知人のサッカーの試合を観に行こうと、随分前からとても楽しみにしていたのに、遅れちゃって。
着いた時には、終わってた。
つつましい応援をと、知人からの要請があったので、自分が応援するのは我慢して、この子たちを連れてきていたのだが・・・・(画像参照)
涙がポロリ。




さてさて。
誰だって、いろんな経験を重ねて歳をとっていく。
どんなに意欲や知識があっても、第三者の信頼を勝ち得るのは、実際のところ「経験」じゃないかと思う。
PCや参考書やマニュアルを山盛り携えていたって、それを適切に使えて、イレギュラーな状況に対応できる図太さをもった人こそ頼られるのだろう。




私は、ある種の体験が極めて乏しいような気がする。
それがなくても、仕事をしたり、家族と過ごすには困らないんだけど・・・
世間知らず?
別にお譲様じゃないしなー。
詐欺とか悪質な勧誘のカモになったこともないし。(と思ってるけど?)
例えばですね、私、「ナベ」という言葉の調理器具でない、仲間の呼称でもない、もう1つの意味合いをわりと最近知りました。
別に知らなかったから困ったことないけど。

ある飲食店で。

友人:あの店員さん、実はナベなんだよね。
私 :ナ?
友人:ナベ
私 :ナベ持つ担当者?
友人:し、知らないのか?
私 :なにを?

みたいな。
多くの人が、いつの間にか知っている事柄を知らないままにいるということが結構あるような気がするなあ。




うーん。
行動範囲が狭かったのかな。実質的にも精神的にも。
高校の時は、せっかく繁華街近くに学校があったのに部活と家を往復する日々だったし。
大学の時は、地元から離れて、しかも寮生活をさせてもらったので、質素にしていたし。
あぁ、母校である上智短期大学はいい学校だったなぁ。誇りが持てる学校だ。
いい経験だ。


社会人になったら、1人暮らししていたので、月に数回職場の飲み会に出るくらいで経済的にいっぱいいっぱい。
結婚したら、1日100〜500円で生活しなくちゃいけない時期があった。(ずっとではない)
100円で、私の昼食・オットの夕食を準備するのだ。私の夕食はテキトーに済ます。
予定外の雑費もなんとかやりくり。
原因は彼に起因するのだけれど、きっと今でもそんな時期があったことなんて気付いていないのだろうな。
(別に借金やギャンブル散財をしたわけではありません)
経済的に余裕ができても、興味を行動として実現するのは結構大変な状況だったなー。



お金がなくても、Happyに過ごすのは、実は結構得意でして。
でも、あれだ。
交通費も節約となると、行動範囲が狭くなって、そこから生まれる経験や人とのつながりが広がっていく機会は少ないよね。
なぜか今になって、そんなことを実感することが多い。
経験は、お金で買う事もできないし、経験豊富な人と一緒にいたからといって、経験を深くする手助けをしてもらえても、その人の体験を疑似体験できるわけでもない。
自分が積み重ねていくしかないものだよね。
多分私もいろんな経験をしているのだけれど、今、ある種類の経験が自分にとても少ないことを悲しく思う。
なんだか「みじめ」に近い感情。
自分にがっかりして、じっとうずくまりたくなることもあるよ。
欲張りな、ないものねだりだけどね。




今までに私が重ねてきた経験は、私を図太くしてくれてるかなぁ。
多くの仲間と様々な経験をする機会に恵まれている現在。
遠くへ出かけることも多くなった。
新しい何かが積み重ねられていくといいなぁ。





そうそう。
先日、ご近所さんにこんな野菜?くだもの?をいただいた。
受け取った娘1号は、名前も食べ方も聞きそびれたようだ。
これ、何ですか?
なにやら、静物画にするのによさそうな形だけれども。
どうやって、食べるの?
誰か、教えてー。