告白

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もともと観たいと思っていたのだけれど、えらく評判になっていて驚いた。
どこがそんなに評判になるのか?
怖いって、どんな怖さなんだろう?



広告でもおなじみの「私の娘は、私の生徒に殺されたんです」という衝撃的な告白の続きを期待して、観客は映画館に足を運ぶ。
告白の続きを知るけれど、観客は裏切られる。
おそらく、この映画は、観客がこの映画に興味をもった瞬間から始まっている。
予想が裏切られて、裏切られて、裏切られて。
最後は何が真実だったのか?と思う。



なぜ裏切られるのかといえば、それは監督が騙しの天才だからではない。
観客自身が自分に都合のよいモラルを振りかざして、正気を保とうと(=自分は正気であると信じようと)して生きているからだ。
監督は、それを利用しているだけ。



優等生もスポーツマンも文化人も政治家も教師も環境大使も。
自分が好きな役を演じながら、内心ではなにかズレを感じつつ、自分に都合のよい正義を確認することで自分の存在を肯定する。
でも狂気へ身を投じたい誘惑が常にある。
時々、誰にもバレないように狂気を楽しんでみたりする。
一方で、悲しみや自分の弱さから逃れるために、狂気にしがみついている正気の者もいる。
オセロゲームの白と黒のように、ある日突然、その人のモラルは姿を変える。
モラルが、どれだけ危ういものかという恐怖。




現実の新聞で、「誰でもよいから、殺したかった」「喜んで死刑を受ける」という殺人者の言葉が並ぶ。
犯人を知る者は、「なんの問題もない人でした」「仕事ぶりはまじめでした」「家族想いでした」と驚きの発言を繰り返す。
読者は、「ありえない」「人間と思えない」「どういう教育を受けてきたんだ」と非難する。
大事な人を殺された被害者の家族たちは、犯人を殺してやりたいと思うけど、そんなことをしても被害者は戻ってこないし、罪の意識も命の重さも知らない殺人者を殺したところで、ちっとも「復讐」にならない虚無感に打ちひしがれる。
ひょっとしたら、映画の原点は、この家族たちの想いではないかと想像してみる。
新聞の読者は、この映画を観たら、自分たちの非難がどれだけ浅いかを知って、自分自身があのクラスの一人であることに気づかなくちゃいけない。
ちょっと怖いのは、観客の中に「そうか、本当の復讐とは、こう行えばよいのか」と思い込んでしまう人がきっといるであろうこと。



難しいテーマをあんな風にひも解き、問題点の真髄を分かりやすく見せているなんて、かなり驚いた。
1つの問題だけでも難しいのに、いくつもの問題の「起承転結」をレイヤー的に重ねながら、渦巻が加速していくように、だんだんはっきりくっきりと終盤に集結させていく手腕はすごい。
私的には、かなりの高評価となった。
帰宅して、映画の怖さを伝えたら、3号がいつの間にか原作を読んでいて、これまた驚いた。
私も読んでみようかなー。