ウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」(国立新美術館

uiui2008-08-25



静物画」って、標本みたいだ。
そう感じたこの展覧会。
写実性の技術や素材の質感の表現によって、描かれたもの達に永遠の命を与えるから。




今回の目玉である「薔薇色の衣裳のマルガリータ王女」(ベラスケス)は3歳児のまま、そこにいる。
叔父でもある従兄弟と婚約させられ、決して幸せとはいえない将来が待っていることなど知るはずもない。
温かい血が流れるほっぺの張りを感じる姿に、世紀を経て会うことができる。





花も好まれた題材。
画家の想いや教示も込められていて、花瓶にさされた花を見て、「上手だね」とただ通り過ぎてしまったら、きっと絵に「あの人は、気付かなかったね」とプププと笑われてしまうんだろう。





小さな花瓶に実際なら入りきるはずもない多くの花たちが、それぞれが美しく見えるように花瓶に「はいって」描かれている。
しかも、その花たちは種類が違うため、開花時期が同時なはずはない。
画家や鑑賞する者たちの「そうだったら、いいのにな」が、実現されている
ケースもあるのだ。





美しい花に目を奪われて、花瓶の横に落ちた枯れた花を見過ごしてはいけない。
そして、その枯れた花のそばで悠々と生命力を放っている虫に気付かなければいけない。
その絵は、花の美ではなく、栄華の儚さを語っているのだ。





「リラ・ダ・ガンバを持つ女」も、そう。
女性は、微笑んでいるけど、楽器を弾く気などさらさらないらしい。
よく見ると、楽器の弦が切れている。
これも儚さを語る絵。






描かれた時代では、絵は「芸術」という以前に「インテリア」であり、時に自分のステイタスを描かれているものによって誇示する役目があった。
当時、人気があり、効果であった南太平洋の珍しい貝のコレクションをこれでもかと描きこんだもの。
東インド会社からはいってくる銀の胡椒入れ。
中国や日本の陶磁器。
珍しかったレモンなどの果物。





解体された牛や猟で獲ったウサギや鳥を描いているのは、現在では趣味が悪いけど、人気があった題材だったらしい。
それらの絵からも当時の文化が多く読み取れる。





娘3号:「生物」は死んだ途端に「静物」になるんだね。







そだね。



日本語だと、単に静物」。
英語だと、「still life」で「静かな生物」。
フランス語だと、「nature morte」で「死んだ自然」。



国によって、「静物」の意味が違うんだ。


画家が意図的にトロンプ・ルイユ(目の錯覚)を誘う技術を使うのもこの時代の静物画の特徴らしい。
エヴァリスト・バスケニスの「静物:楽器、地球儀、天球儀」では、描かれたリュートが伏せてある。
よぉーく見ると、そのリュートに埃がかぶっていて、更にその埃を指で触った跡がある。
でも、あれ?
リュートに埃があるのではなくて、絵自体に埃があるのかな?





そんな錯覚まで隠されているよ。
よりたくさんの秘密を知りたい人は、音声ガイドをお勧めします。


1枚の絵にたくさんのものを描かない、やや寂しい絵が増えてきたのは、食卓画がとても人気があったため、とにかく数をこなそうとしたのではないかという憶測もあるそうだ。
生活に密着した絵画という存在に、庶民のたくましさを感じるね。