マルグリット・デュラスのアガタ 〜映画における音楽の作用・反作用〜


アテネ・フランセでの5日間通しのイベントで上映。
ゲストである音楽家が選んだ映画を上映した後、音楽家という視点で、映画における音楽の作用・反作用について語るというもの。
観客も筋金入りの映画好きという雰囲気を醸しだしている人が多いような感じ。


メニューはこんな感じだったらしい。
<1日目>「切腹」1962年 
     監督/小林正樹 音楽/武満徹
     ゲスト講演者:大友良英
<2日目>「はなればなれに」1964年  
     監督/ジャン=リュック・ゴダール 音楽/ミシェル・ルグラン
     ゲスト講演者:菊地成孔
<3日目>「ウィークエンド」1967年
     監督/ジャン=リュック・ゴダール音楽/アントワーヌ・デュアメル
     ゲスト講演者:ジム・オルーク
<4日目>「悲しみよこんにちは」1958年
     監督/オットー・プレミンジャー 音楽/ジョルジュ・オーリック
     ゲスト講演者:上野耕路
<5日目>「マルグリット・デュラスのアガタ」1981年
     監督/マルグリット・デュラス 音楽/ブラームス
     ゲスト講演者:鈴木治行


10年くらい前だったかな。
マルグリット・デュラスばかり読んだ時期があった。
「愛人(ラ・マン)」は、情緒的で分かりやすいのでよく知られているけれど、他の作品は、どちらかというと起承転結のない散文詩のようで難しい。
できごとを描かず、言葉が持つイメージを大事にするデュラス作品は、とても想像力を必要とするらしい。
そんなデュラス作品が映画化されたものは、日本ではなかなかお目にかかれないので、5日目の「アガタ」だけを観にいった。
愛し合ってしまった兄妹の対話という設定。




使われている音楽は、ブラームスのワルツだけ。
これが、テンポを変えたり、近くなったり遠くなったりして、随所に登場するのだけど、曲が流れていない間も流れているような感覚がある。
ピアノの音を拾うマイクが遠いと、「誰か」が弾いているのを感じるけど、マイクが近いと技術的に重ねられた音楽として聞こえる。
ブラームスの話をしている場面では、ブラームスは鳴らない。
最後の場面だけ、会話と音楽が一致している。




音楽ではないけど、潮騒が、海が近くなれば大きく聞こえるのが自然なはずなのに、なぜか遠くのままだ。




映像だって、海の風景とホテルのサロン的な部屋がほとんど。
海は、なんの脈絡もなく、違う場所の海に変わったりもする。
しかも、夏の海の話をしているのに、映っているのは冬の海。




登場人物は、男女の2人だけ。
ほとんど動かない。
ナレーションのごとく2人の会話が続くのだけど、映像にいる2人が会話してるのではないらしい。
会話しているのは、別のところにある2人の気持ち。




音と音楽・映像のタイミングがわざとずらしてあって、全体的にぼんやりとした雰囲気になっているのは、デュラスが根本的にリアルさを求めていないこと示しているとゲスト講演者の鈴木さんは言う。





やっぱりイマジネーションを駆使しないと、腑に落ちない作品なのだなぁ。
おもしろ難しい。
途中でちょっと寝てしまった。
私の前の2人も寝てた。