さんきゅう

uiui2007-05-10


結婚祝い飲みになんとか20分だけ参加して、「おめでとう♪」。
その後、夜行バスに乗る。


まただ。
JAMバスツアーという団体なのにバスは、


「THANK YOU バス」



しかも、やっぱり!!
ほらっ!!!!
私は、バス後部に、


           
「三球観光」と書いてあるのを見逃さない。



以前に乗ったときは、「ささぐりバス」だった。
バスが多数でる季節は、乗車すべきバスを見つけるのに運と勘が必要になるのだ。
バスの入り口に貼ってある座席表に自分の名前を見つけるまで安心できない。



無事に広島に着いて、寝足りない分を実家の布団で補う。
普段はこんなことしないけど、今日は夜から大事なイベントがあるのです。


集合時間より少し早めに着いたので、そごう新館6Fのベトナムカフェで軽く腹ごしらえ。
そこから見える広島城にごあいさつ。
           


母校(高校)が毎月開催している講演会(しかも講演者はみんなOB)の幹事クラスが、私たち2組ということだけど、どうも人手が足りなさそう。
そんなわけでやってきた今回。
規模は、大きめな披露宴並みで、昭和10年代から60年代の卒業生たちが、総勢90名ほどでしょうか。
1つところに集合し、講演会・宴、そして最後は応援団(大太鼓付)の

ウーッス!!


とともに校歌と応援歌。


本日、講演をされた方は、高校時代は非行にはしっていて、暴走族のヘッドなどもやっていたけど、改心し、今はフラワーアーティスト不登校児のためのボランティア活動をされているとか。
その方が言われることには、



「暴走族や番長グループにも色々ルールはありましたが、この学校の応援団のように“先輩の言葉は絶対命令”なんていう厳しいのはありませんでした。」



この方自身も応援団に所属していたのだけど、これは否定の意味ではなくて、どうもよい修行になったという感想をもっているということのようです。
「絶対命令」なんてイマドキ何?って感じですが、それを実行し、またさせるためには、自らが人に納得させることができる存在でないと実現しないよね。(権力や暴力をもってする場合は別として)
そういう意味では、応援団はうまく運営されていたのでしょうか。


それにしても、高校卒業以来会っていない人も多く、お互いに

「ああ!お顔は分かるんですよっ。・・・・・お名前は?」


「同じクラス・・・・・でしたっけ?」


という頼りない言葉があちこちに氾濫する状況の中、えらく楽しく時間は過ぎていきました。
思い切ってきてよかったな。
卒業して何年も経ってるのに、わざわざ集まってどうするの?という気持ちもよぉく分かるのだけど、いざ参加してみると、複雑なおもしろさ。
知らなかったアノ人の人望。コノ人の人徳。
カレの変貌。カノジョの美貌。



これからもつながっていくのがおもしろそうな人がいっぱい。
明日は、また高校の先輩を訪ねます。