泣いて笑った歌舞伎の映画と本


さて、まずは笑った歌舞伎の映画から。
歌舞伎の公演をHDカメラで撮影し、映画としてデジタル上映したシネマ歌舞伎シリーズ。
映画も歌舞伎も手がけてきた松竹ならではの結晶。
今回観た「法界坊」は、中村勘三郎率いる平成中村座が、2000年11月の初公演でやって評判になったそうだ。
メンバーも豪華。
2007年にはニューヨークでも上演して話題になった。


台詞は現代語が混じっているどころか、毒舌満載お笑い満載で、観客ならず役者まで苦笑してしまう場面も。
共演している中村勘太郎は、勘三郎の長男。
若殿役を演じている勘太郎に対し、勘三郎が「顔白く塗って、きどって座っていやがって。俺は、こいつのことは何でも知ってるんだ」とくる。
「・・・・ったく、もう」の視線を投げる勘太郎とかね。
観客席に潜んで、そこから舞台へ向かう勘三郎がそばの席に座っていた客に「もっと早く気づけよ〜」と毒づいたり。



内容は、家宝の掛け軸を紛失した若殿が、掛け軸の行方を追って東国へ行った先で、恋仲となるお組とその美しいお組を我が物にしようとする商人や番頭・・・そして法界坊といった欲と色にまみれた者たちとのドタバタ狂言
法界坊は、昔からの人気で随分と上演されたそうだ。
当代中村勘三郎と演出家の串田和美が組んでのこの法界坊は、さぞや現代の新鋭感覚になっているかと思われるそうだけれど、実は勘三郎は初代の台本にじっくり立ち返った上で、新しい解釈を生み出したのだそうだ。
序幕までは、おばかさや助べえさに笑って笑って・・・なのだけど、二幕目辺りから、ええっ!?となる。
欲と色に関して節度のない法界坊は、もう笑えない本性を現していく。
憎々しさ、残虐さ。
若殿を追って東国にやってきた野分姫は法界坊に騙され、怨霊と化してしまう。



その怨霊と法界坊が世にも恐ろしい姿になっていき、幕切れはなかなか圧巻だ。
こういった新解釈と現代に沿った演技は昔からの歌舞伎ファンから非難もあろうと想像するけど、勘三郎は「歌舞伎をいまに根付かせる」試みを展開しているんだね。
いや〜楽しかったなあ。
え?男性が女役をやるなんて、気持ち悪い?
まあ、たしかに美しい女性とは言いがたい節もあったけど、今のお笑いでも女子高生姿の男の人がいたりするでしょ?だいじょうぶ、だいじょうぶ。




映画とはいえ、最新の撮影手法を用いているため、劇場で観ているかのような錯覚に捉えられる。
囃子のリアル感、効果音も遠いもの近いもの・・・臨場感がかなりある。
その上、映画の長所である役者の表情や自分の席から見にくいところがよく分かる。
2,000円で3時間弱(15分の休憩あり)なので、私みたいな本物の歌舞伎経験が少ない初心者には特にもってこいかも。
他のシネマ歌舞伎も見たくなったなあ。



へええ。こんな写真集もあるんだね。
まだ勘三郎がまだ勘九郎の時の「法界坊写真集」。

中村勘九郎 法界坊

中村勘九郎 法界坊

「世紀末の浅草に、突如として現れたすけべえで悪党のくそ坊主・法界坊姿の中村勘九郎を天才写真家のアラーキーが毒写!
必殺の一三○○カットから厳選した一三○余点を収録。抱腹絶倒!空前絶後!ファン必携の写真集です。」
だそうです。




実は、歌舞伎を観たくなったのは、宮尾登美子「きのね」を読んだから。

きのね(下) (新潮文庫)

きのね(下) (新潮文庫)

歌舞伎役者のプライベートが舞台となっている。
普段の生活や収入のこと、戦前戦後の変化、舞台初日の腫れ物をさわるような緊張感。襲名の大変さ。
歌舞伎役者の家に女中としてあがった光乃は、長男である雪雄付となる。
真面目で裏表がなく忠義を尽くす光乃は、雪雄に想いを寄せるようになるが、女中の立場を忘れない。
芸においては辛抱強い美しい役者の雪雄は、プライドが高くだけでなく、神経質で癇癪もち。外でのしきたりやプレッシャーが大きいところへ口数が少ない分、家の中では暴力もふるう。
全ての事に好き嫌いも激しい。
光乃は、雪雄の子を産んだ女性の世話や結婚生活のお供まですることになり、雪雄から離れたくない一方で嫉妬などの苦しみを味わう。
この超ワガママな役者の全てを把握した光乃は、いつしか雪雄にとってもなくてはならない存在となる。そして、鶴蔵は自分の子を産んだ光乃を地位や家柄を超えて妻として迎える。
言葉どおりの命がけの献身。
めでたく夫婦となっても、身分の違いやしきたりという迷路は次から次へと不安も運んでくる。
特に夫婦になってからの雪雄の光乃への静かなる献身に泣けてしまった。



この光乃の忍耐が途方もなく、「ありえない」感いっぱいだったから、フィクションだと思い込んでいた。
でも、なんだか実在する固有名詞がよく登場するなあと思ったら。
この雪雄は、11代市川団十郎をモデルとした実話。
一世を風靡したこの役者の妻が映った1枚の写真がきっかけとなって執筆されたのだそうだ。
こんな華やかな役者の妻でありながら、化粧気なしのひっつめ髪。そんな地味な女性が我が子を眺めている写真だそうだ。
役者の人間性や私生活をさらけだしてしまっているため、この小説を書くことにはかなりの壁もあったらしい。
歌舞伎世界を背景に、健気で激しい昭和女性の生き様。
夜中にポロポロ涙。


初詣は、神社めぐりの観光だと勘違いしつつある私。
今年は、湯島天満宮へ行って参りました。