これからの「正義」の話をしよう〜いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

ハーバード大学史上空前の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした本。



1人を殺せば5人が助かる状況にあるとしたら、私はその1人を殺すだろうか。
お金持ちに高い税金を課し、貧しい人々に再分配するのは公正なことだろうか。
前の世代が犯した過ちについて、現在を生きる私たちに償いの義務はあるのだろうか。

(本著帯書きより)



アリストテレスやカントが論じていた「哲学」は、机上のものではなかったはず。
それは、政治や市場、法、宗教といった「力」に関わらず、生きるためのものだった。
分厚い本の前で頭をひねりながら唸る道具ではなく、日々直面している「選択」をどうするかが哲学だ。
「道徳」「正義」「価値」「倫理」だと言って喜んで選択しているものが、実は自分たちが作り上げてきた社会構造ととても食い違っていることにまず気付かなくてはならない。
金融危機、テロ、徴兵制から代理出産・・・規模は国家から個人まで幅広くとりあげられている。



たとえば、個人の成功の結果、富を得ることが称えられるアメリカ。
その国で、経営に失敗した経営者が救済資金を得られるのはおかしいのではないかという視点。
それは納税者がまかなっているお金だからだ。



アメリカの徴兵制では、自分が行きたくなければ他のもの代理で行ってもらうことができる。
お金を払ってね。
では、代理を引き受けるはだれかというと、貧しい者たちだ。
また、兵士を送り込むのが、専門の民間企業であることも珍しくはないそうだ。
2007年のイラクでは、アメリカ政府が契約した民間人が18万人で、アメリカ軍駐留部隊の兵士16万人を上回ったそうだ。
後方部隊とはいえ、戦闘に巻き込まれることもあるけど、星条旗に包まれた棺で帰国することもなく、アメリカ軍の犠牲者数に数えられることもないそうだ。



最大幸福原理では、社会全体の最大の幸福を点ではなく、線で検討した結果を重んじる。
そうすると、極端な例では、難破した船から逃れた4名のうち、弱っていた1人を残りの3名が殺して食べたため、なんとか生き延びることができたという実例。
そうしなければ、4人とも死んでいただろう。
功利主義は、「快楽の最大化と苦痛の最小化」なのだけど、この原理については異を唱える者はおらず、ただその適用方法について対立が生まれる。



国家の問題ばかりじゃない。
トイレの修理に5万ドル請求された老婦人。
銀行で半分の2万5千ドルを引き下ろそうとした時、銀行の人が不振に思って使途を聞いたら、修理詐欺が発覚。
請求者と支払者が納得していたからといって、OKってわけじゃない。
払った対価が受けたサービスと見合っていないと、社会がOKとは言わない。


家を又貸ししてもらった人が、元の持ち主に断りもなく家を修繕し、請求書を元の持ち主にまわしてきた。
そんなことが通るなら、町中の家を勝手に修繕して請求書をまわしちゃうことだってアリになってしまうはずなのに、これは要求が通ってしまった。



情報を日々切り貼りしながら、自分の中に取り込んでいると、大きなひずみに気付かないことが多いかもしれない。
地球規模の原理で、私たちが取り組んでいる難問に取り組む。

うーん。
正義って難しいな。